巷(ちまた)の学校blog

学校等では教わらなかったことを学び,賢い市民生活(家庭,仕事など)を営むためのブログです。ビジネスにも役立つかも。時には,就職や小論文にも言及。

本を読み「ものにする人」と身につかない人

 以下は,東洋経済オンライン提供記事のほぼほぼコピペです。最後に≪私感≫を付け加えました。

 独学の場合,いきなり勉強をしても,実はなかなか続きません。思い立って新しい分野の勉強をはじめたけれども,三日坊主で終わってしまったという経験は,多くの人にあるでしょう。

 「勉強しなきゃ」と思って本を読み始めるのは良いですが,目的ややり方を整理しておかなければ,結局ものにできません。

 ではどうやれば学べるのか。高校に行かず大学は通信制,独学で東大経済学部教授になった柳川範之氏の著書『東大教授が教える独学勉強法』を一部抜粋,再構成してお届けします。

いきなり勉強してはいけない

 独学に限ったことではないのですが,「さあ勉強をはじめよう」というときには,どうしても高い目標を掲げがちになります。

 とくに独学のイメージというと,ねじりハチマキをして,しかめ面をしながら本を読み,壁には目標を書いた紙が何枚も貼ってある。そんな光景を思い浮かべるかもしれません。

 「この分厚い本を1冊読み通す」「3カ月の間にここまで理解できるようにする」といった具合です。これは,おすすめできません。最初から意気込みすぎたり,目標を高く持ってしまったりすると,必ず失敗します。それは,新年の抱負と同じようなことです。いわば,独学は長距離走やマラソンのようなものです。いきなり最初から全速力で走ったら,すぐにバテてしまいます。長い時間を走り通すには,しっかりとした準備運動や助走期間が必要なのです。

 まずは,自分の理解のパターンや無理のないペースを探すために,時間をかけていろいろと試行錯誤する期間が必要です。資格試験の勉強のように,やるべきことが決まっている場合というよりは,もう少しやりたいことが漠然としている場合について考えてみましょう。この場合,勉強のテーマをあまり決めてしまわずに,いろいろな本を読んでみることが大切です。そうすると,それまで思いもしなかった分野に興味を持つこともあります。

 また,評価の高い本や参考書が自分にはまったくわからない場合でも,たまたま手に取ったそれほど知られていない参考書を読むとスッと頭に入ってくるという場合もありえます。

 ですから,いきなり本格的に勉強に取り組むのではなく,少し時間をかけていろんな試行錯誤をする準備期間を持つことが大切なのです。

 もちろん,そのためには本を読まなくてはなりませんが,この段階では,最初から最後まで読み通すことが目標ではありません。この段階の読書は,どんなことに自分は興味を持てるのか,どんな学びのスタイルが自分に向いているのかを探るための手段と割り切って考えたほうがよいでしょう。ですから,最初の10ページでやめてしまう本があってもかまいません。

 人によって,この勉強がしたいというものが1週間で見つかる人もいれば,半年ぐらいかかる人もいるかもしれません。それでかまわないのです。大事なのは自分のやりたいことや目標を探しながら,ぶらぶらと歩きまわることです。たとえ,自分は教養として学ぶんだからという人でも,やはり何かの目標を探してみることは必要だと思います。勉強をする際に,目標を探しながら進んでいるのと,あてもなく進んでいくのでは,大きな違いが出るからです。絶えず考えながら歩きまわっていれば,必ず求めるものに行きあたります。あてもなくぶらぶらするのとは違うのです。

 もちろん,何を学びたいのかを最初から決めている人や,やりたいことが明らかな人は,そのまま真っ直ぐ進んでかまわないと思います。ただ,そうした人はごく少数派でしょう。そうした例外的な人を除けば,本格的な勉強の前には,試行錯誤の期間を必ず設けたほうがいいと私は思っています。

勉強する前に,勉強する姿勢をつくる

 おそらく多くのみなさんは,学問というのは伝統があって,立派なものであり,疑う余地はないものだと考えていると思います。ましてや教科書は,偉い学者が考えてきたことをまとめたものだから,書かれていることは全部正しいと思っているのではないでしょうか。

 もし,「先生,それ書いていること違うんじゃないですか」と質問する学生がいたら,ひねくれたやつだとなって,先生からもまわりからも白い目で見られるのが関の山です。

 そのため,勉強というのは,書かれていることをいかにきちっと覚えるかだということになりがちです。勉強をするとなったら,本を読むにせよ,講義を聴くにせよ,無意識のうちに,とにかく偉い御説を一生懸命覚えよう,要点をつかもうとしてしまうのではないかと思うのです。そうすると,勉強は退屈でつまらなくなりますし,頭の中もすぐにいっぱいになってしまいます。

 でも,勉強をはじめる前にまず知っておいてほしいのは,本の内容を覚える必要なんてまったくないんだということです。読んだことや聞いたことをそのまま頭の中に入れるだけでは,それは,本当の意味で学んだことにはならないのです。

 勉強や学びのプロセスとは,実は,いったん押し返してみることです。

 偉い先生が言ったことを鵜呑みにするのではなくて,教科書でも本でもそこで得た知識をもう一度自分なりに組み立ててみる。場合によっては,著者である偉い先生とは違う理屈を自分なりに語れるくらいにしてみる。本当に正しいのかという反論も含めて頭の中で考えていくことが,学びの大事な過程なのです。いや,それこそが学びです。何度も頭の中でさんざん反論してみたあげく,ああ,やっぱりこの人の言っていることは正しいかと,自分で納得できたときに,初めてその内容がわかったと言えるのだと思います。

 とりわけ,これまで受験勉強など解答テクニックの習得がしみついてしまっている人は,何でもかんでも素直に受け入れすぎる傾向があるように見えます。本に書かれていることは疑いもなく信じてしまうし,とくに偉い先生が言っていることや,有名な新聞に書かれていることを素直に信用する傾向があります。

 あまりに素直に読みすぎてしまうと,右から左に抜けていってしまうので,結局のところ本当の意味では何も身につかないんだと思います。

 極端なことを言えば,勉強は疑うことからしかはじまらないと私は思っています。学びたいという欲求は,何か疑問があったり反論があったりするところから湧き出てくるものです。ですから,学ぶクセをつけるには,教えられたことをただ素直に受け入れるのではなく,疑問を持つことが第一だと思うのです。

本の中に正解を探さない

 私は本から得られる何らかの情報や知識をもとに,自分なりに考えていく過程のほうが勉強するうえで大事だと考えていますから,本を完璧に理解することに時間と労力を費やすのは無駄だと考えています。わからない単語があっても別にいい,わからない内容があっても別にいいというふうに割り切って読んでいってかまわないと思っているのです。

 ただし,その本の基本コンセプトや基本の考え方については,きっちりわかるように読むことは大事だと思います。入門書や概説書といっても,初めての分野なのですから,要点だけつまみ食いというのはなかなかできません。ですから,その本やその分野の勘所がわかるまでは,少し精読する必要があると思います。

 本を書いている著者には何か大きな考え方があって,1つひとつ組み立てながら書いているはずなので,そういう何かベースとなる考え方をおぼろげながらでもいいから,理解できるまでは,ある程度しっかり読んだほうがいいでしょう。

 ですから,こうした意味でも,本を2段構えで読むことは意味があるのです。

 1回目は書かれている内容をすべて受け入れるつもりで,ともかく読み進める。その目的は,筆者の考え方なりメッセージなりを理解することです。そこがある程度わかってくるまでは,少し腰を据えて我慢して読むことが必要です。ただし,枝葉の部分や難解な部分には,あまりこだわることなく読み進めることです。最後まで読み進めてみると,途中でわからなかったことも,読み返してみて理解できることもあります。

 考え方やメッセージがある程度理解できたら,2回目は勘所みたいなものをつかんでいくのです。そのときは,批判的な目を持って疑問を持ちながら読んでいきます。2回目は,興味ある部分を重点的に読んでいくのがいいでしょう。そのうえで,わからないことは,時間をかけて何度も読み直していけばいいのです。

ものごとを「普遍化」させていく

 そもそも,経済学や歴史学のような社会科学系の学問を学ぶ場合,最終的には社会をどのように理解するのか,その理解の仕方を身につけるところに意義があります。例えてみれば,社会というとりとめのないものを料理するために,その道具として包丁や料理用具を手に入れるようなものです。

 社会で起こっている出来事や自分の目の前に起こっている現象を,自分なりにどう理解して,どのように解決に持っていくのか。仕入れた知識や情報を材料にして,そこまで自分の中で考えを深めて,実際に役立たせていくことに,学問を勉強する意義があります。

 歴史の勉強で例えてみましょう。歴史を学ぶ意義は,単に年号や事実を記憶するものだと考えている人も多いかもしれませんが,私はそうではないと思います。人によって意見は分かれるでしょうが,私は歴史から未来へのアドバイスをもらうのが目的だと考えています。

 もちろん,歴史の出来事をそのまま教訓に使えるわけではありません。

時代や地域の違いを超えた「普遍的な構造」を見いだす

 そこでヒントになるのが,「普遍化」というキーワードです。

 「普遍化」という視点を持って,17世紀のオランダで起きた,いわゆるチューリップ・バブル以来のバブル経済の歴史を勉強していけば,現在起きているバブル的な経済現象がどう推移していくのかの見当がつきますし,将来バブルが起きたときに対処の仕方や起こった原因などを理解できます。

 このようにさまざまな歴史上の出来事の中から,時代や地域の違いを超えた「普遍的な構造」を見いだすことが重要です。

 この普遍化の作業がなければ,歴史で学ぶことは過去の一事例に過ぎず,使いものにならないと思うのです。それは歴史に限らずあらゆる学問で言えると思います。

 表面的な歴史的事実は何もしなければ単なるデータに過ぎません。その歴史的なデータを自分なりに分析しながら,組み立て直したり,なぜこの事件が起きたのだろうと考えたりしながら,何か未来の自分たちに生かすメッセージを受け取ろうとして歴史を学んでこそ,意味があると思うのです。

 だからこそ,歴史的な事実から,いつの時代にも通じる普遍的なストーリーを読み取るという「普遍化」の作業は重要なのです。

 それによって,自分なりに理解してきたものが,もう一段階熟成されていくきっかけになるのではないかと思うのです。さらには,現在の自分が置かれている状況を,今よりも俯瞰して見られるようになるでしょう。それができれば,学問というものが,机上の空論に終わらず現在や未来に生きたものになるはずです。

≪良い内容の記事に出会いました。「本は読むもので,本に読まれるな」にも通じます。勉強や考え方の本質の一端に触れることができたことに感謝します≫

お読み頂き,有り難うございました<(_ _)>