巷(ちまた)の学校blog

学校等では教わらなかったことを学び,賢い市民生活(家庭,仕事など)を営むためのブログです。ビジネスにも役立つかも。時には,就職や小論文にも言及。

「頑張れ」「頑張って」は,禁忌(タブー)か?(1)

 

 頑張っている人に対して,「ガンバレ」は失礼では?「もっとガンバッテ」と言ってはいけないのでは?

という疑問や指摘に対して,それなりの方がなんら反論してこなかった結果,最近では,「ガンバレ」「ガンバッテ」の声が聞こえなくなってしまいました。

  前述の疑問・指摘は,若い方に端を発していたように記憶しています。そして,若くない巷の多くの方は,前述の疑問にそう簡単に答えることはできないかもしれません。しかしながら,そうやってきたんだから,タブーでもなんでもないと反論できたにも拘わらず,それもしませんでした。

  それは,日本人の言語感覚が変化しつつあることが理由です。

 農村で生まれ,親類はもちろん水の供給を始め,その多くが共同・協力の上に成立する第1次産業と命名される以前から,脈々と続く生活様式があり,その中で日本語も育まれてきたことと大いに関係しています。

  あらゆる言語は,一面において簡略化の歴史を有しているといっても過言ではありません。島国であった日本における言語は,純粋培養の極致にあったと言えそうです。

 歴史的にも長期にわたって同じ生活様式を続けると,言わなくても共有できる部分を省略することが無意識のうちに行なわれながら,日本語は使われることになります。 その結果,「コトバ」は事(こと)の端(はし)から生まれ,やがて「言葉」という漢字まで与えられるのことになったようです。

 明治維新後,軍事力増強の一環として,それまでの私塾に代わり,国策としての学校が誕生し,日本語の標準化・共通語が図られるようになりました。それと軌を一にして,第1次産業からの人離れが始まり,大正末期から昭和初期には,ある資料によりますと,その人口割合は50%前後です。その後の敗戦後から近年にかけては,ご存じのとおりです。

 このような生活様式の変化は,同時に日本語の変化をももたらします。誤解をおそれずに言いますと,同じような生活様式が失われた結果,「コトバ」は事の端から,コトそのものにならざるを得なかったのです。

(2)に続く

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