巷(ちまた)の学校blog

学校等では教わらなかったことを学び,賢い市民生活(家庭,仕事など)を営むためのブログです。ビジネスにも役立つかも。時には,就職や小論文にも言及。

ちょっとの想像力も使い方を誤れば……

旧年中はお読み頂き,有り難うございました。

本年もよろしくお願い致します。

 

(古くなってしまいましたが)12月22日記

 

 Go to トラベルから大阪市着と札幌市着が除外され,その出発が自粛に。また,65歳以上の自粛が要請された23区?そして,様々な都市で除外や自粛,飲食店の営業の時短要請……。

 

 現在,最も傾聴に値すると思われる?のは,「コロナの感染は人の移動によってもたらされるのだから,人の移動の盛んな若い方(20・30代?)の移動を止める又は抑制することが,感染拡大を防止する最良の政策」という意見です。

 

上記の意見について考えます。

 

 人出の多い所でのTVのインタビューに「感染者が増加しているのは解りますが,身近な人や家族で感染した人がいないから,大丈夫かな?」

と答える若い方が多いようです。

 

 このような報道を目にすると,「自分の友達や家族が感染したときを想像できないのか?ちょっと想像すればわかることだ!」そして,その想像力が欠けているから,問題なのだとも言えそうです。

 そのよう指摘は,視覚的理解に慣らされてしまった若い方を始めとする多くの日本国民に対する評価・批判として,的を射ているようにも思います。

 しかしながら,想像力を働かせて状況を把握し,それを根拠に「移動を自粛せよ」という論法には,ついていけませんし,つく必要も感じません。

 なぜなら,その論法は責任の所在を曖昧にする「忖度」?(本来はそんなに悪い意味で用いられる語ではなかったはず)となんら変わらないからです。

 百歩譲って,人々の移動の「自粛」を認めることができるかもしれません。それには,移動が必要な方のPCR検査等という前提が必要でしょう。

 しかし,営業時間の短縮や休業に「自粛」を求めることには反対です。なぜなら,憲法でも保障している職業選択の自由や営業の自由を侵害するからです。そうだとすれば,一時的にせよ,それらを侵害するものである以上,補償をセットにした法律によらなければならないと考えるからです。

 

 確かに,「ちょっとの想像力」を働かせて状況・情況を把握することは,私のこのブログの根幹をなすものの一つですが,責任の所在を曖昧にして他者に行動を促すあるいは求めることではありません。

 私のブログは,出来事をさまざまな視点から眺め,「ちょっと想像」を働かせて状況・情況を把握することの一助に過ぎす,その後の各人の行動は,自己責任によるものです。

 

お読み頂き,有り難うございました<(_ _)>