新型コロナの感染者が増大し,そのたびに非常事態宣言が発令されてきました。そして,法改正により「まん防」の発令も今話題です。
ここ1年で報道されてきた言葉の中で,「気の緩み」が上位に入ることに異を唱える方はそれほど多くないでしょう。
そこで,「気の緩み」について考えてみましょう。
当初は,非常事態宣言解除後に用いられていたようでしたが,徐々にその宣言中,特に延長中に耳にすることが多くなりました。
ところで,「気の緩み」なる言葉は,どんな言葉なのでしょうか?
「気が緩んでいる」を「気の緩み」と表現していると考えることができます。それは,どんな場合に,どんな場面で発せられるものでしょうか?対等な人間関係?では,発せられることがない言葉と考えます。もし対等な人間同士の場合なら,かなり親しい関係?でしか発せられないように思います。
それでは,どのような関係で発せられる言葉なのでしょうか?職場の上司が部下に向かって発する言葉であって,その逆はあり得ません。そうだとすれば,身分上?上位者から下位者に向かって発せられる性質の言葉であることが解ります。
にも拘らず,新型コロナ対策大臣や知事等が「気の緩み」と市民に呼び掛ける構図をどのように解するべきなのでしょうか?
ある知事が最近は多くを語らず「お願いします」と繰り返していますが,省略されている言葉が「外出を控えることを」ならいいでしょう。しかしながら,ちょっと想像力を働かせると,省略されている言葉は,「宣言が解除されても気が緩まないように」「宣言が解除されても気が緩むことがないように」『お願いします』ということのようです。
言葉は,その人の思考の一部です。そうだとすれば,コロナが蔓延して終息に至らないのは,市民の所為だということになります。また,国会議員や知事等と,市民の関係は上位者と下位者のそれだったことを改めて思い知らされました。
だからと言って,私は選ばれた方々を非難するつもりはありません。選ぶ側の私を含めた市民が,これまで以上に賢くならなければならないことを痛感するだけです。
お読み頂き,有り難うございました<(_ _)>