その意味は,泥棒を捕まえてから縛る縄を綯(な)うこと,つまり,事が起こってから慌てて対策を立てたり準備をしたりすること,計画準備の足りないことです。
泥棒を新型コロナに,縄をワクチン接種に例えて,一連の出来事を考えてみます。
新型コロナについての情報はある程度確定してきました(変異株については除く)。そこで,ワクチンが登場し,いよいよワクチン接種です。
当初,ワクチン接種は医療関係者(一部介護施設職員を含む),今年度65歳以上になる高齢者,それ未満の方の順でした。そして,接種が進まないことから,大規模接種会場を設置して,現在に至っています。地域によっては,すでに住民接種(2回目の期日も決定)が終了,また,それほど遠くない時期に1回目が終了して2回目が始まろうとしているようです。
その意図は,新型コロナによる医療ひっ迫を解消するためでした。
ところが最近,オリンピック選手・大会関係者,それに加えて大企業や大学に接種会場を拡大して,65歳未満の方への接種も早めようとしています。企業にはテレワークを,大学にもオンライン授業を要請していたのでは?医学部のない大学は?という疑問を抱くのは,私だけではないようです。
さて,そうまでしてワクチン接種を急ぐ,その意図は?
察するところ,オリンピック開催期間中及び閉会後のコロナ重症者を抑止することにあるようです。ワクチン接種により重症化率が下がることは判明しています。このままでは,ある方の首相の再選はあり得ないでしょう。
大会期間中及び終了後に医療ひっ迫を生じさせなければ,大会開催の責任を問われることはないでしょう。そして,ある程度の経済効果も生じたとなれば,誰かは責任を問われることがないでしょう。
ある種の賭けです。
しかしながら,それが上手くいったとしても,国民を自己の賭けに利用し,飲食店やそれに関係する事業者に犠牲を強いることには,その方の品性・人間性が問われるべきだと考えます。
もし,それが上手くいかなかった場合……。
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