巷(ちまた)の学校blog

学校等では教わらなかったことを学び,賢い市民生活(家庭,仕事など)を営むためのブログです。ビジネスにも役立つかも。時には,就職や小論文にも言及。

「検索するだけで考えない大学生」を作り上げる日本の“時代遅れ教育”

 以下は,ネット記事(週刊ポスト2021年8月20日号の転載)のコピペです。

 残念ながら,大前健一氏の指摘には問題点の指摘にとどまり,提言がありません。それを≪私見≫で考えます。

 マネーポストWEB 提供 日本の教育の「根本的な間違い」とは?

 ネット検索で調べたものをツギハギにして文章をつくり,自分では考えずにレポートを作成する大学生も少なくないという。なぜそうした学生が増えているのか。経営コンサルタント大前研一氏が,日本の教育システムの問題点を指摘する。

 * * *

 文部科学省は,大学入試改革の柱として2025年以降の大学入学共通テストで予定していた国語・数学の「記述式問題」導入と英語の「民間試験」活用を断念する見通しとなった。

 大学入試のあり方を議論している文科省有識者会議が,記述式は「質の高い採点者の確保やミスのない採点,受験生による自己採点が難しい」「機密漏洩の懸念がある」「コストに見合わない」,英語民間試験は「地理的・経済的事情により不公平が生じる」「障害のある受験者への配慮が不十分」「目的や内容の異なる試験の成績を比較することの信頼性・妥当性が疑問」などと指摘し,いずれも「実現は困難であると言わざるを得ない」とする提言(原案)を示したからである。(中略)

 この文科省の迷走に受験生,高校,教師,塾などが振り回されて大混乱してきたわけだが,そもそも記述式問題の導入については,根本的な誤りがある。

 記述式を導入する目的は,○×のマークシート方式による暗記偏重を脱却し,自分の考えを論理的にまとめる思考・判断の能力や,その過程・結果を表現する能力の向上を目指すためだとされた。また,前述したように有識者会議が「実現は困難」と提言した要因の一つは「ミスのない採点が難しい」ことである。しかし,“答案が合っているかどうか”を判定して採点するのは,形式的には記述式でも本質は○×だ。思考力や判断力,表現力を問うと言いながら,結局「○か×か」を問うているのである。

 私に言わせれば,記述式で思考力を問うなら,それ自体を採点するのではなく,答案からその人の考え方を酌み取って,さらに突っ込んだ質問をぶつけ,人間性を深掘りするという手間暇をかけなければ,導入する意味がないのである。

 最近,「ネット検索で調べるだけで考えない大学生」が問題になっている。たとえば,デジタル教科書に関する講演会で,東京大学大学院の酒井邦嘉教授は「自分で考えて咀嚼する前に調べてしまう。考えようとしない。考えるのはバカバカしい。書いてあるモノを探してくればいいんだと。それが学習なんだと勘違いしている」(東京新聞6月15日付)と苦言を呈している。

 だが,これは大学生に問題があるのではない。そういう大学生をつくってきた試験,学校,教師,文科省に問題があるのだ。

 試験や教師の質問が「正解」を求めるから,生徒・学生は手っ取り早く答えを見つけるためにスマホで検索して調べるわけで,その結果として考えなくなるのは必然である。つまり,スマホがあれば答えがわかる質問で,合否や成績を判定するというやり方自体が間違いなのだ。

 日本は明治維新以来,欧米に“追いつき追い越せ”で,答えを求める教育を続けてきた。従来の延長線上で答えが見えていた時代はそれでもよかったが,今は世界中どこでも答えが見えない時代である。実際,世の中に出たら,答えが○か×かになることはほとんどない。

 にもかかわらず,日本の教育は相変わらず工業化社会時代の○×式で「正解」を答えさせようとしている。情報化社会の21世紀に活躍できる有能な人材は,そういう時代遅れの教育からは生まれてこない。その根本的な間違いに文科省はまだ気づいていないのだ。

【プロフィール】大前研一(おおまえ・けんいち)/1943年生まれ。マッキンゼー・アンド・カンパニー日本支社長,本社ディレクター等を経て,1994年退社。現在,ビジネス・ブレークスルー代表取締役会長,ビジネス・ブレークスルー大学学長などを務める。最新刊『大前研一 世界の潮流2021~22』(プレジデント社)など著書多数。

私見

 明治維新以来の教育のすべてが,「正解,〇✖」を求めてきたわけではないようです。

 戦後の教育は,氏が指摘なさるように若干の揺れがあったものの,その傾向が顕著だったようです。そして,そのような教育体制・制度は文部省・文科省によって形作られてきたと言っても過言ではありません。

 今日,検索して継ぎ接ぎの文章を作る大学生が存在するのも確かでしょう。内容を理解しないままの羅列であれば,大いに問題です。もしそれが引用でしたら,問題ないでしょう。

 どのような体制・制度であれ,児童・生徒・学生は,かつては問題解決,さらにこれからは問題発見の能力を身に付けようと模索していることも事実です。

 文科省には,教育が国家の存亡を左右することを再認識して今後の教育を見直して頂くとともに,国民が望む場合には学び直しをする機会を制度として構築・定着させることを要望します。それらができないのであれば,口出しは最小限に控えることを望みます。

 なお,日本の学校制度の一部が軍を組織するために誕生したものであること,そして,ある時期には「一つの正義」に毒されてしまったことを,日本国民は忘れてはなるまい。

お読み頂き,有り難うございました<(_ _)>