巷(ちまた)の学校blog

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変わりゆく遺影のカタチ

 以下は,中國新聞デジタル提供記事のほぼほぼコピペです。最後に≪余談≫を付け加えました。

 葬儀を終えた後の遺影は仏間やかもいに飾るもの―。そんな「常識」が変わりつつある。自宅に仏間や大きな遺影を飾るスペースがないなどの理由で,小さいサイズにしたりデータ化してスマートフォンに保存したりする人も。最近の遺影事情を紹介する。

▽葬儀の小規模化も影響

 広島市安芸区の田中博之さん(76)はことし8月,102歳の母を亡くした。母の遺影を作る際には,妻房枝さん(75)と相談して自宅の仏壇横に飾れるように通常の大きさの半分以下,縦20センチ横15センチの小さなサイズにして写真立てに収めた。「母をいつも身近に感じられ,『今,帰ったよー』などよく話しかけています」と話す。  

 博之さんの父と兄が亡くなったときは通常の大きな遺影を作ったが飾らなくなった。房枝さんは「けっこう存在感があって,狭いわが家には飾りにくいサイズでした」と打ち明ける。  将来,息子が遺影を引き継ぐときのことも考えた。房枝さんは「今風の家具が並ぶ部屋に,大きな遺影を置くのは雰囲気が合いそうにない。小さなものならしまい込まれることもなく,たんすの上にちょっと飾ってもらえそう」とも話す。  

 住宅事情に加え,新型コロナウイルス流行による葬儀の小規模化も小さな遺影が増える理由になっているようだ。  

 安芸葬祭(広島市東区)の河内光浩社長(58)によると,新型コロナの流行以降,遺影をはがき大にしたり作らなかったりするケースは葬儀全体の4割に上るという。「家族葬が増え,遺影を大げさにしなくてもいいと考える人が目立つ」と河内社長。残された家族が選ぶ写真も自然な表情のものが多く,遺影用に和服への着せ替え加工などをすることは少なくなったという。

▽「しまえますよ」に遺族はほっと

 全国2500の葬儀社と取引のあるアスカネット広島市安佐南区)は,飾らないことを前提にした2種類の遺影を扱う。近年多いのが,二つ折りにして本棚などにしまえる遺影。法事の時などは開いて立てることができる。  

 同社によると,北欧風のインテリアを家庭に取り入れる人が増えたり,リフォームで家のかもいがなくなったりして,遺影を飾りにくい住環境の人が増えているという。青砥剛マネジャーは「『しまえますよ』という提案に,遺族はほっと安心するようです」と話す。  

 もう一つは,データ化してスマホに保存するタイプだ。画面を開けばいつでも写真を見ることができる。  浄土真宗本願寺派本願寺広島別院(広島市中区)の榮(さかえ)俊英輪番(64)は「遺影は仏教の儀式においては必須のものではなく,本来,飾っても飾らなくてもいいものです。家族が自由に決めていい」と説明する。ただ,遺影は亡くなった人の生前の様子を鮮やかに思い出させてくれるものでもあり,「お盆やお彼岸には遺影を通じて故人に会い,語り掛けてください。さまざまな思いが心に浮かび,生きていく上での支えになるでしょう」と話している。

▽飾る風習 第2次大戦後から

 遺影研究に取り組む国立歴史民俗博物館(千葉県)の山田慎也教授(民俗学)によると,一般家庭で遺影を葬儀に用いたり,家に飾ったりするようになったのは第2次世界大戦後という。「戦死した息子や夫を供養したい」と考えた遺族が,戦地に赴く際に撮っておいた写真を引き伸ばすなどして一気に広まったとみられる。  

 ただ,「明治時代末期にはすでに遺影という形はあった」と山田教授。写真のほか,コンテという画材を使って描いた「刷筆(さっぴつ)画」などを供養のために寺へ奉納していた例もある。  

 近年の遺影の小型化などの背景には「住宅事情だけでなく家を継いで仏壇を守り,先祖を供養する意識の低下があるのではないでしょうか。現代人は『家』単位でなく『一個人』としてふるまっている」と話す。  

 一方,遺影を飾る風習は「今後もなくならない」と山田教授はみる。例えば,結婚で実家を離れた娘が個人的に,母親の写真を身近に飾るなどだ。「亡くなった人に会いたいと遺影を眺める姿は変わらないでしょう」

≪妻の撮った写真が,2度遺影に使われたことがありました≫

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