巷(ちまた)の学校blog

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日本が「強力な統制国家」になっている?

 以下は,現代ビジネス提供記事(加谷 珪一 氏による)のほぼほぼコピペです。

 知らず知らずのうちに,日本が統制国家に向けて歩み始めている。資本主義社会では,政府は可能な限り民間企業の活動に介入しない方が良いというのが常識だが,その命題は市場が正常に機能していることが大前提となる。経済の低迷が続き,市場機能が失われつつある日本においては,政府が介入した方が,事態が改善するという皮肉な状況となっている。

 だが,政府の介入に過度に依存する状況を放置すれば,日本経済はますます機能不全を起こす可能性が高い。政府は介入によって事態の改善を図りつつ,本来,企業が持っている姿を取り戻すための諸改革を進めることが重要である。

最低賃金制度がない国」より賃金が低い

 かつての日本は,低賃金・長時間労働が当たり前の社会であり,元請け会社が下請け会社対して過度な値引きを要請することも当然視されていた。こうした行為は労働基準法独占禁止法,下請法などによって禁じられているが,企業活動を優先するという暗黙の了解で,法執行は事実上制限されてきたといってよいだろう。  

 こうした法執行の抑制は他の先進国でも見られることだが,日本以外の主要先進国では,政府による介入がなくても市場メカニズムによって事態の改善が図られてきた。例えばドイツでは,つい最近まで最低賃金の制度が存在しなかったが,日本と比較するとドイツの労働者の賃金は圧倒的に高く,市場メカニズムによって労働者の生活が担保されていた。  

 企業としてはできるだけ安く従業員を雇用したいという点で,日本とドイツに違いはないものの,あまりにも賃金が安いと,当該企業に人が集まらなくなってしまうため,結局は一定水準以上の条件を労働者に提示する必要に迫られる。労働者の側も,条件が悪ければ他社に転職するので,双方が合意できる範囲で賃金が決定される。まさにミクロ経済学で言うところの価格理論が機能していると解釈できるだろう。  

 市場が健全に機能していれば,こうした形で過度な低賃金や長時間労働は抑制されるはずだったが,不思議なことに日本にはこの条件が当てはまらず,一定の経済成長を実現した後も,過重労働が持続するという特殊な状況となっていた。この問題は以前から指摘されていたものの,企業が自ら事態を改善させることはなく,日本の低賃金は慢性化していた(逆に言えば,企業は人件費を削減することでしか利益を拡大できないという低収益体質を温存したことになる)。  

 だが近年,政府が民間への介入を強化したことで状況は一変しつつある。  

 2019年4月から働き方改革法が施行され,従来のような無制限の残業を強いることがほぼ不可能となった。今年の4月からは割増賃金率の引き上げが中小企業にも適用され,2024年4月からは運輸や建設の分野においても労働時間の上限規制が適用される。特に運送業界への影響は大きく,今の雇用体制ではドライバーの数を確保できず,物流に大きな混乱が生じるとも言われる(いわゆる2024年問題)。

携帯電話のサービスにも介入

 下請けに対する過度な圧迫に対しても行政のメスが入っている。先進諸外国では日本のような重層的な下請け構造は見られず,元請けがあまりにも無茶な条件を下請けに突きつけた場合,下請け企業は取引先を変えたり,合併などを通じて経営規模を拡大し,価格交渉力を増大させてしまう。このため,元請け企業が,下請け企業を際限なく買い叩くということは基本的に不可能である。  

 だが日本の場合,そうした市場メカニズムが働かず,下請けに対する圧迫が続いてきたが,労働者の待遇改善と同じく,政府が独占禁止法や下請法の適用を強化した結果,大手企業に対して公正取引委員会が相次いで指導を行うという異例の事態となっている。 

 消費者保護や国民の資産形成についても同じことが言える。  

 日本では携帯電話に関して,端末の販売と回線サービスを強制的に抱き合わせ販売することが当たり前という時代が長く続き,利用者の選択肢が著しく制限されてきた。どの国でも,企業は抱き合わせ販売によって利益を拡大したいと考えるものだが,消費者の反発が大きいため,こうした販売方法を強制することはできず,消費者に一定の選択肢を供与するのが一般的である。  

 ところが日本の場合,こうしたメカニズムが働かず,この件についても最終的に政府が販売方法についての指導を行い,ようやく回線と端末の分離が実現した。政府はさらに踏み込み,通信事業者に対して携帯電話料金の引き下げを強く迫り,実際に価格が引き下げられるなど,国家の介入によって消費者利益を拡大するという流れが一般化している。

困った金融機関

 資産形成の分野でも同じことがいえる。日本では金融機関が個人投資家に不利な条件を課したり,手数料の獲得に主眼を置いた商品を一方的に販売することが多く,国民の長期資産形成が阻害されている面があった。諸外国では運用会社の競争が激しく,運用規模は年々大きくなり,かつ手数料も大幅に引き下げられている。  

 日本の運用会社の規模は小さく,最大手でも世界トップ企業の15分の1以下となっており,もはや同じ条件で戦える相手ではなくなっている。本気で資産形成を目指す個人投資家は海外の投資信託を購入するケースが多いのが現実だ。本来なら,証券業界が自ら再編を進め,運用力を強化する必要があるが,業界は目先の利益を優先し,戦略的な取り組みが出来ていない。  

 この問題も以前から指摘されていたことではあるが,事態はまったく改善せず,とうとう政府がしびれを切らし,岸田首相が資産会社の運用力強化を自ら金融庁に指示することになった。  

 本来,資産運用というのは個人が自ら積極的に行うものであり,結果として証券市場も強化され,消費者の利益も大きくなる。ところが日本ではこうした動きは起こらず,政府が非課税制度であるNISAを拡大して,国民に対して長期の資産形成を促す事態となっている。

 一連の状況を冷静に眺めると,日本はもはや政府が経済を主導する社会主義統制経済にシフトしつつあると解釈できるだろう。日本は昭和の時代から「世界でもっとも成功した社会主義国」などと揶揄されてきたが,あくまでそれは「右に倣え」という日本人の主体性のない行動パターンがもたらしたもので,政府が強く民間に介入していたわけではない。  

 昭和までの日本政府は民間への介入にはむしろ消極的であり,欧州各国の方が圧倒的に統制的だったといってよい。その意味で今回の一連の政府による介入は,まったく新しい動きと考えてよいだろう。

政府の方向性が正しい故の問題とは?

 最大の問題(皮肉)は,現状において政府が示している方向性が全て正しいことである。

 旧ソ連の崩壊に代表されるように,統制経済・計画経済というのはうまく機能しないというのが現代資本主義の常識であり,可能な限り市場メカニズムに任せるべきというのがグローバル経済の基本的な価値観となっている。ところが,日本でだけは,そうした市場メカニズムがうまく働かず,政府による介入によって事態が改善するという困った状況に陥っているのだ。  

 今,説明したように,政府の行動は,まったくもって正しいのだが,正しいが故に,こうした事態が続いた場合,日本経済の将来はかなり厳しいと言わざるを得ない。  

 一般的に市場よりも劣るとされる政府による介入の方がまだマシということであれば,日本の自由市場は政府よりもさらにレベルが低いということになってしまう。このまま政府による介入を続けた場合,一時的に状況は改善するものの,民間が自律的に改革を進める力をますます失ってしまうだろう。  

 筆者は政府の介入について一定の評価をしているが,政府は民間に対する介入を強化すると同時に,企業が自律的に活動を継続できるよう,諸改革を進めていく必要があると考える。このままでは,自由市場によって高い成長が続く世界の平均水準に対して,日本経済は半永久的に追いつかないことになってしまう。

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