(1)の続き
生活様式の変化は同時に多様化でもあります。そうすると,言わなくても共有できた部分が減少あるいは無くなってしまうことになります。これまでの日本語とは逆の方向,つまり,言わなければ伝わらない事態が生じることは当然なのかもしれません。
「頑張れ」は,(口語のラ行五段活用の)命令形で,今日的な日本語感覚であれば,頑張っている人に対して,「ガンバレ」,「もっとガンバッテ」と言えないことになり,「頑張れ」「頑張って」と言うことは,タブーということになるでしょう。
しかしながら,このような結論には,疑問を禁じえません。
「頑張れ」「頑張って」を単なる応援・声援と言うことはできないでしょうか?そう言えない方のために,省略されている語を補って考えてみましょう。例えば,「(私も応援・声援で頑張るからあなたも一緒に)」や「(あなたの実力はそんなものではありませんから)」が省略されていると考えることはできないでしょうか?
このように考えると,頑張っている人に対して「頑張れ」「頑張って」と言うことは,必ずしもタブーとは言えないようです。もちろん,省略されている語句が解らない方にとってはタブーになります。
とはいっても,生活に共有部分が無くなる方向に進み,多様化が固定化した社会において,やがて日本語の省略部分を補うことができない時代がやってくるでしょう。
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