巷(ちまた)の学校blog

学校等では教わらなかったことを学び,賢い市民生活(家庭,仕事など)を営むためのブログです。ビジネスにも役立つかも。時には,就職や小論文にも言及。

「お礼メール」を見れば一発で分かる…「仕事ができる人」と「できない人」!

 以下は,PRESIDENT Online 提供記事(奥野宣之『心をつかむ文章術 無敵の法則』(アスコム)の一部を再編集)のほぼほぼコピペです。最後に≪私感,ちょっとしたコツ≫を付け加えました。

 「説得力のある文章」を書くにはどうすればいいのか。ライター・作家の奥野宣之さんは「婉曲は読み手に負担をかけてしまうので避けたほうがいい。抽象的な言葉ではなく,『見たまま』『聞いたまま』『感じたまま』を書くことが大切だ」という――。

断定を避けたがる,“オトナな文章”は読みにくい

 「ビジネス用のスーツは紺色がいちばんだと思います」という書き出しで文章を始めると,次のような声があるかもしれません。

・いやいや,グレーのほうがいいと思う

・色より素材のほうが重要でしょ

・紺イコール無難,という考え方は古くさい

・おまえは葬式も紺色で行くのか?

 そこで,先に反論を封じておきましょう。すると,こんな文章になりました。

グレーのほうが好きだという人もいるだろうし,色より素材という考え方もある。また,いかにも無難なものを選ぶ古くさい考え方だと思われるかもしれないけれど,ビジネス用スーツは紺色がいちばんだと思っている。もっとも,葬式など特別なケースを除いての話だが。

 はい,「何が言いたいんだ? コラ!」という文章ができあがりましたね。

 「自慢じゃないが」「私だけの話と思われるかもしれないけれど」といった短いものから,「○○という人のために説明しておくと……」という長い一節もあります。

 こういった“先まわり”の言い回しを,軽はずみに使ってはいけません。必然性のないところで使うと,たいてい言い訳じみた自信のない文章になります。

 ただし,すべての“先まわり”が悪いわけではありません。文章を作っていて,「ほとんどの人はこのへんに引っかかりを感じるだろうな……」と思ったときは,「ここで,『それって○○なのでは?』という声に答えておこう」と,きっちり説明しておくべきでしょう。

 違和感を抱えたまま「いつ答えてくれるんだろう?」と気にしながら読み続けていると,読み手は疲れてしまうからです。

「予防線」を張った文章はNG

 読み手に優しい,適切な“先まわり”ならば,むしろやったほうがよい。

 では,「ビジネス用のスーツは紺色がいちばん」にあれこれ書き加えた文章の“先まわり”はどうでしょう? こちらは親切心からの“先まわり”ではありませんね。

 自分が反論されたくないから,あらかじめさまざまな「声」が飛んでくる可能性を潰しておくための“先まわり”。いわば「予防線」と呼ぶべきものです。

 長ったらしいスーツの文章が無様なのは,動機が間違っているからです。

「読者の疑問に答えよう」というサービス心ではなく,「自分が批判されたくない」という保身のために書いている。そんな心根は読み手にすぐ見透かされます。

 ビジネスに限らず,大人の文章は,こういった「予防線」のオンパレードです。次のような言い回しを書類で見たことはないでしょうか。

「まだ精査が必要ですが,○○という傾向が見受けられます」

「△△との見方もあるものの,全体としては□□という説がまだ根強いと言えます」

「○○であるかもしれません。ただ少なくとも△△であるとは言えそうです」

 会話で婉曲的にものを言うのは,社会人としての暗黙のルールかもしれません。この種の「いかにもオトナ的」な言い方を好む人が多いのも事実でしょう。

 しかし,「誰からも読まれる文章」「影響力のある文章」を書きたければ,予防線はダメです。必然性のない婉曲は,わかりにくい。スッキリしない。食い足りなさやモヤモヤが残る。読み手に負担をかけてしまう。

 むしろ,予防線をまったく張らないことを,強くおすすめします。

 反論や異論だけでなく,的外れなツッコミがくるかもしれないとしても,あえて受け入れましょう。そんなことより,文章の明朗さのほうが大切です。

お礼メールを読めば一発で分かる…仕事のできる人の共通点

 ビジネスで書く文章は,その目的の多くが「説得」です。相手に理解してもらうための「説得力」を生むためには,何が必要でしょうか。

 基本は,根拠となる統計や調査データを示すことです。最近では,作り手のストーリーが買い手の心を動かすのだ,なんてこともよく言われています。商品開発の苦労話や「私がこのレタスを作りました」という写真をサイトで紹介しましょう,と。

 ただ,こういった「説得力」の工夫は,ちょっと高度ですね。誰にもすぐにできるものではありません。

 ポイントは「とにかく具体的に書く」ことです。

 たとえば,取材させてもらった人へのお礼メールは,普通こんなふうに書きます。  「今日は貴重なお話をありがとうございました。中でもアメリカ留学でのエピソードが印象に残っています。私も何か新しいことにチャレンジしたいと思いました」

 しかし,説得力を持たせたいならば,「アメリカ留学中に訪れたアラスカのエピソードで『体験しないと知識はつかない』とおっしゃっていたことが,印象に残っています。私も昔から関心を持っている幼児教育を学ぶため,まず地域のボランティアからはじめてみようと思いました」と,いちいち具体的に書く。

 本当に感動したなら,自分が注目した出来事や言葉,そのとき感じた自分の思いなどを具体的に書くのは,簡単なはずです。具体化すれば説得力が出る――。考えてみれば,当たり前の話ですね。

会話をメモで残しておくといい

 逆に言えば,「抽象的に書くと伝わらない」ということです。

 「世界の見方が変わる本」とか「ちょっと贅沢で特別な雰囲気のある店」とか,こんな標語みたいな抽象的な言葉には,人を説得する力がまるでありません。

 「平日イオンモールにいる主婦がついレジに持っていってしまうような本」「20代のサラリーマンが彼女の誕生祝いに使うような店」のほうが,はるかにいい。「平和を守れ」のような,抽象概念だけの言葉がいちばんダメです。

 具体的に書くのは,難しいことではありません。うまく整理しようとせず,「見たまま」「聞いたまま」「感じたまま」を自然に,正確に書けばいいのです。

 お礼は「何がどう嬉しかったのか」,企画の提案は「どこがどのようにおもしろいと思ったのか」を書く。「君を愛してる」より「君の声が聞きたい」のほうがいいですね。

「抽象的でダメな書き方」と「具体的でよい書き方」をまとめると

×一般的な名前(パン)→○固有名・限定的な名前(バゲット・明太子フランス)

×大まかな日時(先日)→○正確な日時(3日前)

×類型化した描写(上品なネコ)→○見たまま感じたままの描写(柔らかそうな毛並みのネコ)

×発言の要旨(夢の大切さ)→○発言の正確な引用(「自分の夢を紙に書け」)

 「正確に書く」というのは単純ですが,慣れが要ります。日ごろから,読んだ本・会った人・食べたものなどを「抽象的な言葉を使わずに,どう描写するか」と考えて,話したりメモを残したりしておくのが訓練になります。

「頭がいい」と思わせる,わかりやすい自己PR文

 わかりやすい文章は,就職・転職などの自己PRにも役立ちます。

 企業の採用担当者は,仰々しい志望動機やゴテゴテと飾った自己PR文を読み飽きて,ウンザリしています。そんなとき,もし大量の応募書類の中に,とても読みやすく,スキッと筋の通った自己PR文を見つけたら,どうでしょうか。この応募者は頭がいいぞと思い,名前を覚える。たぶん書類審査をパスできるでしょう。

 まずは,テクニックを身につけていない人の自己PR文から。

 2年4カ月の間,社会人として働いた結果,仕事の厳しさと楽しさを知ることができました。接客・販売職もとてもやりがいの多い仕事でしたが,今は,現場をバックアップするサービス業の後方部門の仕事が私の適職だと考えています。

 接客・販売職で経験を積んだからこそ,次に歩むべき道を見つけることができたと思います。「明るさ」と「積極性」をいつも意識して,新しい仕事で必要な知識やスキルは,自己研鑽とともに現場で働きながら学ぶよう努め,短期間で戦力として役に立てるようになりたいと考えています。

 こういう文体こそ自己PR文の「お約束」なのだ,といえばそれまでですけれど,私ならもっとやわらかく書きます。

「やさしい文章」を書けるのは,頭のいい人である証拠だ

 読み手に負荷をかけない「やさしい文章」が書けるということは,頭のよさの証拠。また,大量の書類に目を通す採用担当者への思いやりでもある。

 必ず好印象に結びつくはずです。テクニックがあればこうなります。

 前職で2年4カ月働いてわかったことは,仕事の楽しさと厳しさです。

 接客や販売など,さまざまな仕事をやってきて思ったのは「後方支援こそ,私が力を発揮できる分野だ」ということでした。サービス業の後方部門で現場をバックアップすること。これこそが私の適職だと思います。

 お客さんとのやりとりで学んだことを,この仕事に活かすつもりです。また次の職場でも,明るい気持ちでどんどん人と関わっていこうと心に決めています。

 必要な知識やスキルは,現場でできるだけ早く覚えて,「即戦力になる」と評価してもらえる社員を目指します。

 読みやすいだけでなく,就職活動にありがちな「建て前をずらずら並べた感じ」も薄めることができました。

 実際に,履歴書を読む担当者がどんな人かはわからないので,「これで確実にパスできる」なんてことは言えません。

 それでも,10社のうち6社くらいは,「読みやすい文章が書ける=能力が高い」と評価してくれるでしょう。「読ませる力」があると,大事な局面でも少し優位に立てるのです。

奥野 宣之(おくの・のぶゆき) 作家・ライター

1981(昭和56)年,大阪府生まれ。同志社大学でジャーナリズムを専攻後,出版社,新聞社勤務を経て作家・ライターとして活動。読書や情報整理などを主なテーマとして,執筆,講演活動などを行っている。著書に『情報は1 冊のノートにまとめなさい[ 完全版]』『読書は1 冊のノートにまとめなさい[完全版]』(以上,ダイヤモンド社),『学問のすすめ』『論語と算盤(上)自己修養篇』『論語と算盤(下)人生活学篇』(以上,致知出版社「いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ」現代語訳)などがある。

 

≪氏のおっしゃるとおり「抽象的な言葉ではなく,『見たまま』『聞いたまま』『感じたまま』を書くことが大切」なんですが……,書き慣れていないとそれはそれは苦痛な作業となります。そこで,『』部について書く順の表を作りましょう。検討を重ねて表が完成したら,その順に従って書いていきましょう。特に羅列する場合,書く方としては接続語(詞)が気になり,「そして」「また」のオンパレードに……。しかしながら,概略をご存じの方が読むので,接続語(詞)がなくても読み手には気にならないのです。私の場合,主に伝達するための文章では,第一に相手(読み手)のことを考えます。なぜなら,内容は既に決まっているのですから≫

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「誤送金に気づかず使ったら罪になる?」返金トラブルの素朴な疑問

 以下は,マネーポストWEB 提供記事(女性セブン2022年6月23日号)のほぼほぼコピペです。

 山口県阿武町の「給付金4630万円誤送金事件」では,同町の田口翔容疑者(24才)が「電子計算機使用詐欺」容疑で逮捕された。5月末には田口容疑者が使ったオンライン決済代行業者3社から返還され,町は誤送金の約9割にあたる約4300万円を確保したという。この騒動により町長は3か月間50%の減給,副町長や出納室長にも減給の処分を行うこととなった。

 誤送金はほかの自治体でも何度か発生しており,近いところでは,2020年に大阪府寝屋川市で「特別定額給付金」10万円を993世帯・2196人に2度振り込んだ。市は振り込み先をリスト化したデータを作成していたが,一部が更新されず,支払い済み世帯が再び給付対象となったことが原因だったという。

 阿武町のケースでは,誤送金を受けたあと,返金を拒否したことで,逮捕に至ったわけだが,そもそも「電子計算機使用詐欺罪」とはどういう罪なのか。「アディーレ法律事務所」の長井健一弁護士が説明する。

「別名『コンピューター詐欺』。ATMや電子決済などのシステムに虚偽情報などを与えて,不当な利益を得る犯罪です。今回の事件の返金の経緯は不明ですが,返還を拒否した4630万円の9割相当が返金され,きっかけが誤送金という点を考慮すると執行猶予がつく可能性があると思われます」

 返金トラブルに巻き込まれないためには,法律の知識もあったほうがいい。今回の誤送金事件や,一般的な借金に関する素朴な疑問に長井弁護士が回答する。

Q:阿武町長や担当者が罪に問われる可能性は?

A:刑事罰を受けることはないと思います。

Q:もし誤送金に気づかず使った場合,罪になる?

A:本当に知らなかったなら罪には問われません。ただし,それまでの残高と大きな乖離があるような場合,「誤送金と知っていながら大金を引き出した」と認定され,犯罪になる可能性があります。

Q:借りたお金を返さないと,何の罪にあたる?

A:借りたお金を返さなくても罪にはなりません。詐欺罪に問うには,「お金を貸して」と言っている段階で返済の意思がないという事実が必要なのです。それは騙してお金を巻き上げたということになり,犯罪となります。つまり友人同士の貸し借りトラブルは「返すつもりで借りたけど,事情があり返せなくなった」というケースがほとんど。罪には問えないのです。

Q:落とし物のように誤送金にもお礼はある?

A:落とし物とは事情が違うため,謝礼は発生しません。

Q:お金を貸す際,借用書は必要?

A:借用書は必ずしも必要ありません。実はメールやLINEでも「貸した日付」「金額」「相手の返す意思」「返済方法」「返済日時」といった情報が記載されていれば証拠になります。

 つまり,「毎月○日に○円ずつ返金してくれる?」「了解」といった会話によって必要な内容が自然と残せるのです。もし当事者になった場合はスクリーンショットを撮って保存しておくといいでしょう。確実に返済を求めるなら担保を取ることが最も安全です。

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なぜ人はウソやフェイクに騙されるのか?

 以下は,NEWSポストセブン提供記事のほぼほぼコピペです。最後に≪私感≫を付け加えました。

 フェイクニュースマルチ商法振り込め詐欺など,日常生活において,ウソやニセにまつわるニュースが溢れている。そうした事件やエピソードを目にするたび,「なぜあのようなウソに騙されてしまうのか理解できない」と疑問を感じる人が多いのではないだろうか。 

 しかし,『フェイク~ウソ,ニセに惑わされる人たちへ』(小学館刊)を上梓した脳科学者の中野信子氏は,ウソやフェイクを心地よく美しく感じてしまうのが我々人間の脳の性質であり,「自分は騙されない自信がある」という人は逆に騙されやすい傾向があると指摘している。著者の中野さんに話を聞いた。

──なぜ私たちはウソやフェイクに騙されてしまうのでしょうか。

 中野:人間の脳は,論理的に正しいものより,認知的に脳への負荷が低い,つまり分かりやすいものを好むという性質をもっています。 脳は一言で言うと怠け者です。思考のプロセスでもできるだけリソースを使わないようにして,消費するエネルギーを節約しようとしています。

 というのも脳は,酸素の消費量が人間の臓器の中で最も多く,その占める割合は,身体全体で消費する酸素量のおよそ4分の1です。ですから,基本的にあまり働かないように,つまり思考しないようにして脳の活動を効率化し,酸素の消費を抑えようとするのです。

 例えば脳は「処理流暢性が高い情報」を好みます。「処理流暢性が高い情報」とは,「簡単で分かりやすい情報」です。膨大・複雑でなく,整理されていて,一目瞭然,つまり考えなくて済む,脳が働かなくてよいということです。テレビの映像や,短く整理されたWebの「まとめニュース」などは,処理流暢性の高い情報です。どんなに正しい情報でも,冗長で複雑,処理流暢性が低いと,「何だろう? どういうことなのだろう?」と距離をとって考えますが,逆に多少自分の意思とはずれていても,短く分かりやすい言葉でズバリと言われると,「なるほど」と肯定してしまう。間違った情報だとしても,短いセンテンスでズバッと言うと,耳目に入りやすく納得してしまう。これは処理流暢性が高く,シンプルで理解しやすい情報に対し,脳に「好感」が生じている現象です。 

  つまり私たちは意外なほどウソに弱くできているのです。論理は強力なものではありますが,その運用には脳をそれなりに頑張って使わなければならないという罠があるのです。いずれにせよ,「脳は騙されたがっている」という性質があることは忘れずにいたほうがよいでしょう。

ウソは生き抜くために必要不可欠なもの

──私たちはウソやフェイクに騙され続けるしかないのでしょうか。

中野:信頼している人が自分にウソをついたことが分かると私たちは深く傷つき,悩み,相手とそして時には自分自身を責めてしまいます。

 しかし,自分自身も数えきれないほどのウソをついているはずです。誠実であることを求められる一方で,私たちは自分たちが周囲から期待されている役割を演じ,その場にふさわしいウソをつき社会生活を送っています。お世辞や謙遜もウソと言えばウソかもしれません。けれども,ちょっとしたお世辞や謙遜もできなければ,何ともギスギスした会話になってしまうでしょう。実はこうした思いやりのウソ,礼儀としてのウソによって,人間関係が成り立っているのです。

 つまり「ウソは,人が他人と一緒に生き抜くために必要不可欠なもの」ということになるのではないでしょうか。もしウソが人間にとって本当に「よくないこと」「不要なもの」であったのならば,この能力はとっくに退化して消失していることでしょう。人間はむしろ積極的に,ポジティブにウソを利用しながら,集団を保持し,人間関係を構築してきたとも言えるのです。

 ウソという概念を完全に否定し排除するのではなく,何のためにウソをつくのか,なぜ騙されてしまうのかをよく考察する。そして有益なウソと悪意のウソがあるということを知り,ウソに対する目利きができるようになれば,ウソの手口を理解し,ウソに騙されるリスクヘッジができるようになると思います。

──組織ぐるみのウソいわゆる不正も後を絶ちません。

中野:企業の不正がなぜなくならないのかと言えば,共同体によってそれぞれの基準がある以上,片方から見れば不正であり,片方から見ると不正ではないという事象が生じてしまうからです。コンプライアンスやガバナンスといった言葉が言われて久しく,どの企業も,その法令遵守企業統治の徹底に尽力していても,今なお企業による不正=ウソの事件が絶えないのはこうしたダブルスタンダードが存在するからでしょう。

 そして残念ながら人間は基準が変わっても,その間を行ったり来たりできるようにつくられているのです。究極的な例を挙げると,戦場では人を殺すことが正義である。けれども平時においては,人を殺すことは許されない。そんなダブルスタンダード,トリプルスタンダードでも生きていけるようにつくられているのです。だから不正をなくすことは非常に困難なのです。

 企業の中では,ウソをつくことが推奨される場面もあります。けれども,ウソをつくことが禁じられている場面もあります。どちらにも適応できるというのは,実は組織人としての資質の一つとされてきた部分があるのでしょう。

 だからこそ企業の不正を防ぐためには,「不正をなくす」というスローガンを掲げるだけでなく,社内にどのようなダブルスタンダードが存在するのか,その背景を含め把握する必要があるでしょう。

メタ認知が弱いと騙されやすい

──本質的に騙されやすい人と,そうではない人との違いは何でしょう。

中野:大きな違いの一つは,騙されやすい人は「メタ認知」が弱いことです。メタ認知とは,「自分を俯瞰して見ること」です。「自分が認知していることを,客観的に認知すること」でもあります。

 そもそも騙されないためには,「(自分を含めて)騙されない人間はいない」と思うことが大切で,これも「メタ認知」です。もし「自分だけは騙されない」と信じて疑わない人は,メタ認知が弱く,逆に騙されやすい傾向があると言えるでしょう。

 メタ認知能力を高めるためには,まず,普段から自分を内観し,記録することをお勧めします。例えば日記をつけたり,メモをとったりするのもよいでしょう。自分の行動と,そのときどのように感じたのかをなるべく盛らずにありのまま記録するのです。重要なのは,たびたびその記録を読み返すことです。繰り返すことで,自分の性格や行動パターンが見えてくるでしょう。

 すると,自分は正直者であり,なおかつ騙されにくいと思っていたのに,自分が意外にたくさんのウソをついていて,しかも,コロリと騙されやすい側面があったなどの気付きを得られるはずです。必要なのは,「人はウソをついてしまうものなのだ」,そして「騙されやすいものなのだ」と認めることです。

 そしてそのウソがどんな性質をもち,何のためにつくウソなのか? 悪意のあるものとやむを得ないこと,思いやりのあるものとの違いを見極めつつ,うまく付き合っていくスキル・知恵こそ今の時代に求められるのではないでしょうか。

≪自分だけは騙されないぞうと思うより,ヒトは騙されやすい生き物と思っていた方が,実生活では役に立ちそうですね≫

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「デマを拡散してしまう人」の残念な心理

 以下は,ダイヤモンド・オンライン提供記事のほぼほぼコピペです。

 「なぜデマは真実よりも速く,広く,力強く伝わるのか?」SNSに潜むウソ拡散のメカニズムを,世界規模のリサーチと科学的研究によって解き明かした全米話題の1冊『デマの影響力──なぜデマは真実よりも速く,広く,力強く伝わるのか?』がついに日本に上陸した。  

 ジョナ・バーガー(ペンシルベニア大学ウォートン校教授)「スパイ小説のようでもあり,サイエンス・スリラーのようでもある」,マリア・レッサ(ニュースサイト「ラップラー」共同創業者,2021年ノーベル平和賞受賞)「ソーシャル・メディアの背後にある経済原理,テクノロジー,行動心理が見事に解き明かされるので,読んでいて息を呑む思いがする」と絶賛された本書から一部を抜粋して紹介する。

「人の注意を引きやすい情報」の共通点

 人間はなぜ,嘘の情報にそれほど引きつけられるのか。なぜ,みすみす嘘を拡散してしまうのか。私と,ソルーシュ・ヴォソウギ,デブ・ロイの3人は,この問いに関して,「新奇性の仮説」という仮説を立てた。

 新奇なものは人間の注意を引きつける(1)。驚いたり,感情を大きく動かされたりすると,その原因となったものに注目するのだ。

 それまでの価値観,世界観を変えさせられるような事実を知ると(2),人はそれを誰かと分かち合いたいと思う。誰かに知らせれば,知らせた相手も自分と同じように,新たな秘密を知り得た特別な人間(3)になれるだろうと思うのだ。

嘘であっても,新しい奇抜な情報はリツイートされやすい

 そういう仮説を立てたうえで,私たちは10年分のツイッターのデータを分析した。フェイク・ニュースが実際に,真実のニュースより新奇性の高いものになっていたかどうかを検証したのだ。また,ツイッターのユーザーたちが,新奇性の高い情報をそうでないものより多くリツイートしていたかも検証した。

 私たちは,ツイッター上で内容が真実であるか嘘であるかを問わず,ともかく何らかの噂のツイートをリツイートしたユーザーたちについて詳しく分析してみた。その人たちが,リツイートの前の60日間に触れた全ツイートの内容を精査し,それとリツイートした噂のツイートの内容とを比較したのだ。

 すると,両者のあいだには,一貫した傾向が見られることがわかった。どのユーザーも,自分がそれまでに目にしてきたツイートに比べて新奇と感じる内容のツイートをリツイートしていたのだ。そして,嘘の噂,つまりフェイク・ニュースを,真実の噂,ニュースに比べて新奇と感じるユーザーが多かった。

「新しい奇抜な情報」を競いあって発信している

 今のように「アテンション・エコノミー(人々の関心,注意が経済的な価値を持つという考え方のこと。第9章で詳しく触れる)」が重要視される時代には,フェイク・ニュースを流すことには一定の合理性があると言える。

 ソーシャル・メディアに流れる情報(ミーム)は,私たちの乏しい関心,注目を少しでも多く得ようと互いに競争している。そのなかで新奇なミームは,多くの人の注目を得て(4),その人たちの消費,行動を操ることができるし,多くの人に拡散に協力してもらうこともできる。

嘘の噂で,驚きと嫌悪感を抱かせられている

 ただ,嘘の噂が真実の噂に比べて新奇だと判断したのは,あくまで分析した私たちの主観かもしれない。実際にそのツイートを見た本人はそう感じていない可能性もある。

 そこで私たちは,この「新奇性の仮説」の正しさをさらに検証すべく,ユーザーたちのリプライを分析することにした。嘘の噂,真実の噂それぞれに,どのようなリプライをしているかを見て,その噂に対して抱いている感情を読み取ろうとしたわけだ。

 それでわかったのは,嘘の噂のほうが,真実の噂に比べ,ユーザーに大きな驚きや強い嫌悪感を抱かせていたということである(5)。これは「新奇性の仮説」を裏づける結果だと考えられる。それに対し,真実の噂のほうは,悲しみや期待,喜び,信頼などを抱かせることが多かった。

 この結果を見ると,新奇性に加え,フェイク・ニュースのどのような要素が人々にリツイートを促すのかもわかる。フェイク・ニュース拡散のメカニズムを理解するには,まず人間がいかにフェイク・ニュースに影響されやすいかを知る必要があるだろう。

 

脚注

(1) Laurent Itti and Pierre Baldi, “Bayesian Surprise Attracts Human Attention,” Vision Research 49, no. 10(2009): 1295-306.

(2) Sinan Aral and Marshall Van Alstyne, “The Diversity-Bandwidth Trade-Off,” American Journal of Sociology 117, no. 1(2011): 90-171.

(3) Jonah Berger and K. L. Milkman, “What Makes Online Content Viral?,” Journal of Marketing Research 49, no. 2(2012): 192-205.

(4) Fang Wu and Bernardo A. Huberman, “Novelty and Collective Attention,” Proceedings of the National Academy of Sciences 104, no. 45(2007): 17599-601.

(5) フェイク・ニュースが新奇なものになりやすく,新奇な情報がよりリツィートされやすいのは確かだが,新奇性がリツイートの要因になっているのか,それともフェイク・ニュースが真実のニュースよりもリツイートされやすいというだけのことなのかはわからない。

(本記事は『デマの影響力──なぜデマは真実よりも速く,広く,力強く伝わるのか?』を抜粋,編集して掲載しています。)

 

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今の若者が「とにかく差がつく状況が苦手」な理由 横並び主義の完全一律な平等分配思考

 以下は,東洋経済オンライン提供記事のほぼほぼコピペです。最後に≪私感≫を付け加えました。

 最近,「成功した人もしない人も平等にしてほしい」と要求する若者が増えているらしい,と聞いたらあなたはどう思うだろうか。

 新著『先生,どうか皆の前でほめないで下さい』で複雑な若者心理に迫った金間大介氏は,イノベーションとモチベーションの研究家だ。金沢大学と東京大学で教鞭を取り,若者と日々接している著者の金間大介氏は,単に皆で何かを一緒に食べるといったシチュエーションでも学生たちの平等思考を思い知らされるという。その例が「大皿料理」や「ホールケーキ」を前にしたときの反応だ。

とにかく差がつく状況が苦手

 突然だが,大半の大学生は大皿系の食事が苦手だ。どうしてもきれいに均等分配できないからだ。

 コストコで巨大なホール型ティラミスを買ってきたときなどは大変だ。それを11人でシェアするときなどはますます大変だ。そもそも誰も切り分けようとはしないし,嫌々切り分け係になった人は,いかにしてきっちり11等分するかで四苦八苦する。

 私は今の若者の心理的特徴を『先生,どうか皆の前でほめないで下さい』の中で分析し,「いい子症候群」というフレーズがぴったりくるという結論に達した。いい子症候群の特徴はいくつもあるが,その1つが,とにかく差がつく状況が苦手であるということ。特に過敏に反応するのが「自分だけが何らかの利益を得る」状態だ。

 円型をきっちり11等分しようとするのも,少なくなった人がかわいそうというより,多くなった人の気まずさを意識してのものだ。

 さて,ここでクイズを1つお出ししたい。次の4つの選択肢のうち,あなたはどれが最も公正な分配だと思いますか?

① 平等分配

② 必要性分配

③ 実績に応じた分配

④ 努力に応じた分配

 選択肢について少し解説すると,①平等分配とは,その名から連想されるとおり,年齢や性別,個々の能力などの個人差をすべて無視し,完全一律に分配することを指す。最もシンプルでわかりやすい分配方法であると言えよう。

日本人が思う最も公正な分配方法

 ただし,このように均一に分配しようとするとき,もっとほしいという人と,逆に自分はいらないという人が出てくることも多いだろう。リンゴを皆に配りましょうと言っても,リンゴが嫌いな人にまで配ってしまってはもったいない。そんなときにまで均一に分配することが全体最適だとは思わない。

 そこで②必要性分配が浮上する。これは個人の必要度に応じて分配量を変化させることで,より多くの人のニーズを満たそうとする考え方だ。仮に職務上は同じ給与水準の人でも,扶養家族を多く持つ人に(扶養家族手当として)少し多めに配分することは現実に行われている。少なくともこれが公正の1つの考え方であることに異論がある人は少ないだろう。

 次は③実績に応じた分配だ。このあたりから分配方法はさらに現実的に,より意見が分かれる領域に突入していく。③はいわゆる成果主義に代表される分配方法で,多大な成果を上げた人は,それだけ多くの労力や費用を犠牲にしたのであり,分配はそれに応じるべきという考え方になる。

 ②の必要性に応じて分配する案は一見かなりフェアであるものの,分配対象者がまったく同じ量または質の仕事をしたという前提が必要になる。仮に扶養家族を持たないAさんのほうがBさんより組織に貢献したとして,それでも扶養家族が多いという理由だけでBさんの報酬が多かったら,Aさんのモチベーションはどうなるだろう。

 このように②と③は反目するケースも出てくる。必要度の高い人,あるいは貧しい人に多くの施しを与えることが人道的であると言う人もいるし,必要度とは関係なく成果や貢献度にこそ報いるべき,そうしないと人も組織も成長しない,という論理も説得力がある。

 このトレードオフを緩和する可能性を持つのが,④の努力に応じた分配である。その名のとおり,個人の努力量に応じて分配量を決定することで,③実績に応じた分配と対比されることが多い。実績は生まれ持った才能や育った環境の違いに影響される場合も多いため,③だと才能や環境に恵まれなかった人はいつまでも低い報酬に甘んじるしかない。一方,努力量は才能や環境と違い,自分で100%コントロールできる指標になるため,フェアで公正であるという考え方になる。

 さてさて,前置きが長くなったが,改めて皆さんはどれを支持するだろうか? どれが最も多くの人の支持を集めると思うだろうか?

 実は,実際にアンケートを用いて調査した結果がある(社会階層と社会移動全国調査:SSM調査研究会編〈1998〉『1995年SSM調査シリーズ』,および佐藤俊樹『不平等社会日本:さよなら総中流』〈中公新書〉より)。

 結果はこうだ。

① 平等分配:男性5.2%,女性7.5%

② 必要性分配:男性9.8%,女性9.1%

③ 実績に応じた分配:男性30.4%,女性16.6%

④ 努力に応じた分配:男性51.2%, 女性62.2%

 いかがだろうか? ④の「努力に応じた分配」が半数以上の支持を集める結果になっている。

現在の大学生が思う最も公正な分配方法

 これだけでも興味深いテーマとデータだが,もちろん議論には続きがある。と言うか,これからが本題である。

 実は筆者も大学生を対象としてデータを取ってきた。データは2018年12月から2020年11月までの間で複数回にわたり収集した(対象者:複数の大学における2~4年生および大学院1年生:211名)。

 その結果はこうだ。

① 平等分配:男性49.0%,女性53.2%

② 必要性分配:男性5.9%, 女性5.5%

③ 実績に応じた分配:男性19.6%,女性16.5%

④ 努力に応じた分配:男性25.5%,女性24.8%

 正直,私はこの結果を見てとても驚いた。若者のモチベーション研究をしている筆者が驚くのだからよっぽどだ。

 何よりもまず,前項で紹介した日本人全体の結果と大きく異なることは一目瞭然である。その中でも最も目を引くのが,①平等分配の多さだ。ずばり,現在の大学生の半数は,単純な均一分配が最も公正だと考えていることになる。今の若者の間では,いかなる理由にかかわらず,分配量を変えること自体に違和感を持つ人が増えているのだ。

 その分,残りの3つが票を減らしている。

 特に着目したいポイントは2つある。確認しておくが,最初に紹介したSSM調査は対象が全世代にわたっていること,調査時期が1990年代であることの2点において筆者の調査とは異なる。その全世代調査で2番目に票数が少なかった②必要性分配が,若者ではさらにシェアを落とす結果となった。これがポイントの1つ目である。

 必要性分配は先に述べたとおり,実績や努力にかかわらず,今それが必要だと思われる人に多く施すという考えだ。捉え方によるが,困っている人に多く配分するという意味において,一般的には最も人間味のある分配方法だと言えるだろう。それを,今の大学生の多くは選択しない。

 ポイントの2つ目は,④努力に応じた分配が大きく票を落としていることだ。最初のSSM調査で(③実績分配ではなく)④努力分配が最多というのはいかにも日本人らしい,と思った方は多かったのではないだろうか。しかし大学生の間では,その割合が半減している。

 いい子症候群の特徴である「とにかく差がつく状況が苦手」とは,言い換えれば究極の横並び主義であり,それが顕在化した象徴形が完全一律な平等分配なのだ。

 さて,冒頭のケーキを切り分ける話はその後どうなったか。

 いかにしてきっちり11等分するかで四苦八苦している学生に,筆者はこう言う。

「先生は偉いからふたり分ね」

 おっと,これで12等分して,そのうちの2ピースを先生に渡せばいいではないか! 先生,まさに神!! 

≪余談ですが,1は3で割り切れないと教わった子が「リンゴ1個は3等分できるよ」と言ったことを思い出しました。「状況が苦手」であっても,克服できない訳ではないような……≫

お読み頂き,有り難うございました<(_ _)>

 

投資したくても,そんなに収入がない…「資産所得倍増」を打ち出す政権は現実を知らなさすぎる!

 以下は,PRESIDENT Online 提供記事(森永 康平 氏による)のほぼほぼコピペです。最後に≪私感≫を付け加えました。

 政権の目玉政策「資産所得倍増」は,どう評価すればいいのか。

 アナリストの森永康平さんは,「岸田政権が投資における非課税制度の改革を打ち出したことは評価すべきだろう。しかし,いまの家計には投資に回す余力がない。政策の順番が間違っている」という――。

「資産所得倍増」は今やるべき政策なのか

 今月22日に公示予定の参院選に向けて,各党の動きが慌ただしくなっている。筆者も都内をランニングしていると,街頭演説に出くわす機会が増えた。選挙カーとすれ違うことも多い。

 参院選を前に,政府は5月末に「骨太方針」案と「新しい資本主義」実行計画案を発表した。報道では「資産所得倍増計画」と「一億総株主」という言葉が繰り返し報じられているが,どうも政府は実行すべき政策の順番を誤っているように感じてしまう。本稿ではその理由について述べていこう。

「新しい資本主義」の目玉は「NISAとiDeCoの改革」か

 政府が先月末に発表した「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画(案)」のなかに以下のような記載がある。

 「個人金融資産を全世代的に貯蓄から投資にシフトさせるべく,NISA(少額投資非課税制度)の抜本的な改革を検討する。また,現預金の過半を保有している高齢者に向けて,就業機会確保の努力義務が70歳まで伸びていることに留意し,iDeCo(個人型確定拠出年金)制度の改革やその子供世代が資産形成を行いやすい環境整備等について検討する。これらも含めて,新しい資本主義実現会議に検討の場を設け,本年末に総合的な「資産所得倍増プラン」を策定する。」(出所:内閣官房「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画(案)」)

 現時点では,具体的な改革内容については上記の内容から推測することしかできないが,おそらく以下のような改革を考えているのであろう。

①NISAは年120万円の枠内で買い付けた株式などの取引を通じて生じた利益が5年間非課税になるという制度だが,この上限枠を現行から引き上げる。

iDeCoにおいては今年の5月に加入可能年齢を60歳未満から65歳未満に広げたばかりだが,企業に就業機会確保の努力義務がある70歳まで加入可能年齢を引き上げる。

 SNS上では本件について否定的な意見も多く見られるが,筆者はこの改革案自体を否定する気はない。しかし,政府はこれらの改革を行う前にやらなければいけないことがあることを忘れてはならない。

賃金が下がり,税・社会保険料の負担が増えている

 日本経済を形容して「失われた30年」という言葉が用いられることが多々ある。平成元年(1989年)から令和元年(2019年)の30年間における社会の変容をまとめたものが図表1(略)だ。少子高齢化が進み,非正規雇用労働者が急増し,雇用者に占める非正規の割合も倍増した。そして,何よりこの間に国民の賃金もほとんど上昇しなかった。

 日本では物価が長らく上昇してこなかったため,賃金が伸びなくても家計の影響は抑えられたという指摘もあるのかもしれないが,その間にも税金や社会保険料の負担割合は増え続けた。図表2(略)は実収入に占める直接税と社会保険料の割合の推移をグラフ化したものである。直接税とは所得税や住民税を含んでいる。

 非消費支出の割合が増加傾向にある事は一目瞭然であり,なかでも社会保険料の負担の増加が顕著だが,これらに加えて消費をする際には消費税がかかってくるわけだが,この税率も3%から5%,8%,10%と引き上げられ続けてきた。それ以外にも電気代には「再生可能エネルギー発電促進賦課金」,いわゆる「再エネ賦課金」が上乗せされるなど,国民の負担ばかりが増えてきた30年ともいえよう。

「持家の帰属家賃」を除いた物価は3%上昇

 足元では物価上昇が家計を襲っている。

 物価を見る際には総務省が発表している消費者物価指数を確認することが一般的だが,物価の趨勢を確認するためには天候要因や地政学リスク,投機資金の影響などを除くために「生鮮食品及びエネルギーを除く総合」の数字を見ることが多い。

 ただ,ここでは家計の体感的な物価上昇を把握するために「持家の帰属家賃を除く総合」を見ることにしよう。

 「持家の帰属家賃」というのは,持家世帯が住んでいる住宅を借家だと仮定した場合に,そのサービスに対し当然家賃を支払わなければならないと考え,持家の住宅から得られるサービスに相当する価値を見積もり,これを住宅費用とみなした場合に支払われるであろう家賃を指している。

 この部分については物価の上昇が影響しにくく,家計の体感的な物価上昇を把握するには適さないため,これを除いたのだ。

 「持家の帰属家賃を除く総合」の物価上昇率は既に前年同月比で3%となっている。

 この数字だけでも物価上昇が起こっていることが分かるが,体感としての物価上昇はもっとひどいと思われる方も多いだろう。

 消費者物価指数を大まかに品目分けすると,最も上昇率が大きいのは水道光熱費であり,その幅は15%弱となっている。おそらくこのレベルでの物価上昇を体感している方も多いだろう。

 今回の世界的なインフレは主にエネルギー価格や資源価格の上昇が要因であるため,巷で言われているように,日銀の金融政策の転換,つまり「利上げ」では対応できない。まずは財政政策によって家計を支援すべきなのだ。財政政策とは必ずしも公共投資を指すわけではなく,消費減税も立派な財政政策である。

政策の「優先順位」が間違っている

 それにも関わらず,岸田首相は5月下旬の衆院予算委員会で,消費税を触ることは考えていないと断言した。普段は何事に対しても「検討する」と歯切れの悪い受け答えが多く見られるのに,本件については即答している。

 ろくに家計への支援もしないままに,「貯蓄から投資へ」だけを推進すべく,非課税制度の内容を拡充する。それが岸田政権の経済政策なのである。

 こうした政策を推進すると,数年後には,自己責任論がはびこる荒んだ社会が形成されてしまうだろう。

 国は投資を支援する制度を拡充した。だから,生活に困窮する国民は,投資をしなかったのであり,自己責任だ。そのため,国が税金を使ってまで救う必要はない。

 そうした意見がSNS上で飛び交っている姿が容易に想像できる。

 当然のことで指摘するまでもないとは思うが,株式投資にせよ,投資信託を活用した投資にせよ,必ず資産を増やせるなどという保証はない。

 非課税制度とは利益が生じた場合に課される税金が免除されるというだけで,損失が生じた場合に補填してくれるわけではない。収入が増えない中で物価が上昇し,かつ非消費支出の割合も増加する社会において,わずかに残った預金を投資に向けることが,本当に正しい選択だと言えるだろうか。

「資産所得倍増」以前に所得が少なすぎる

 金融広報中央委員会が発表している「家計の金融行動に関する世論調査」を見ても,現役世代の保有している金融資産がそれほど多くないばかりか,そもそも金融資産を保有していない世帯が3割前後いるという結果になっている。

 岸田首相は昨年行われた自民党総裁選で「令和版の所得倍増を目指す」と宣言した。

 それはいつしか消えてしまい,気付けば「所得倍増」ではなく「資産所得倍増」に代わってしまったが,いまこそ改めて「令和の所得倍増計画」を打ち出し,実行すべきだろう。

 投資というのは自己責任の下で行うものであり,誰かに強制されて行うものではない。リスクを取って投資をしなければまともな生活が出来ないような環境を放置することは国として誤った態度と言わざるを得ない。

 まずは目先の物価高対策として,財政政策で家計や企業を支えながら,中長期的には国内の供給能力を増強するような投資を継続し,失われた30年から日本経済を再起動させるべきだ。

 岸田政権が経済安全保障を打ち出したことは評価すべきである。コロナ禍やウクライナ侵攻を受けて,国内の供給能力こそが外交や国防に直接つながることを我々日本人は実感している。

 国が成長し,賃金も上昇し,国民から見て国の成長シナリオが具体的に見えていれば,その安心感から投資をする人も自然に増えていくだろう。

 政策の順番を誤るかどうかで,日本経済の未来は大きく変わってくると指摘したい。

森永 康平(もりなが・こうへい) :株式会社マネネCEO,経済アナリスト 証券会社や運用会社にてアナリスト,ストラテジストとして日本の中小型株式や新興国経済のリサーチ業務に従事。業務範囲は海外に広がり,インドネシア,台湾などアジア各国にて新規事業の立ち上げや法人設立を経験し,事業責任者やCEOを歴任。その後2018年6月に金融教育ベンチャーの株式会社マネネを設立。現在は経済アナリストとして執筆や講演をしながら,AIベンチャーCFOも兼任するなど,国内外複数のベンチャー企業の経営にも参画。

≪同感です。にも拘らず,支持率は低下しません?≫

お読み頂き,有り難うございました<(_ _)>

本を読み「ものにする人」と身につかない人

 以下は,東洋経済オンライン提供記事のほぼほぼコピペです。最後に≪私感≫を付け加えました。

 独学の場合,いきなり勉強をしても,実はなかなか続きません。思い立って新しい分野の勉強をはじめたけれども,三日坊主で終わってしまったという経験は,多くの人にあるでしょう。

 「勉強しなきゃ」と思って本を読み始めるのは良いですが,目的ややり方を整理しておかなければ,結局ものにできません。

 ではどうやれば学べるのか。高校に行かず大学は通信制,独学で東大経済学部教授になった柳川範之氏の著書『東大教授が教える独学勉強法』を一部抜粋,再構成してお届けします。

いきなり勉強してはいけない

 独学に限ったことではないのですが,「さあ勉強をはじめよう」というときには,どうしても高い目標を掲げがちになります。

 とくに独学のイメージというと,ねじりハチマキをして,しかめ面をしながら本を読み,壁には目標を書いた紙が何枚も貼ってある。そんな光景を思い浮かべるかもしれません。

 「この分厚い本を1冊読み通す」「3カ月の間にここまで理解できるようにする」といった具合です。これは,おすすめできません。最初から意気込みすぎたり,目標を高く持ってしまったりすると,必ず失敗します。それは,新年の抱負と同じようなことです。いわば,独学は長距離走やマラソンのようなものです。いきなり最初から全速力で走ったら,すぐにバテてしまいます。長い時間を走り通すには,しっかりとした準備運動や助走期間が必要なのです。

 まずは,自分の理解のパターンや無理のないペースを探すために,時間をかけていろいろと試行錯誤する期間が必要です。資格試験の勉強のように,やるべきことが決まっている場合というよりは,もう少しやりたいことが漠然としている場合について考えてみましょう。この場合,勉強のテーマをあまり決めてしまわずに,いろいろな本を読んでみることが大切です。そうすると,それまで思いもしなかった分野に興味を持つこともあります。

 また,評価の高い本や参考書が自分にはまったくわからない場合でも,たまたま手に取ったそれほど知られていない参考書を読むとスッと頭に入ってくるという場合もありえます。

 ですから,いきなり本格的に勉強に取り組むのではなく,少し時間をかけていろんな試行錯誤をする準備期間を持つことが大切なのです。

 もちろん,そのためには本を読まなくてはなりませんが,この段階では,最初から最後まで読み通すことが目標ではありません。この段階の読書は,どんなことに自分は興味を持てるのか,どんな学びのスタイルが自分に向いているのかを探るための手段と割り切って考えたほうがよいでしょう。ですから,最初の10ページでやめてしまう本があってもかまいません。

 人によって,この勉強がしたいというものが1週間で見つかる人もいれば,半年ぐらいかかる人もいるかもしれません。それでかまわないのです。大事なのは自分のやりたいことや目標を探しながら,ぶらぶらと歩きまわることです。たとえ,自分は教養として学ぶんだからという人でも,やはり何かの目標を探してみることは必要だと思います。勉強をする際に,目標を探しながら進んでいるのと,あてもなく進んでいくのでは,大きな違いが出るからです。絶えず考えながら歩きまわっていれば,必ず求めるものに行きあたります。あてもなくぶらぶらするのとは違うのです。

 もちろん,何を学びたいのかを最初から決めている人や,やりたいことが明らかな人は,そのまま真っ直ぐ進んでかまわないと思います。ただ,そうした人はごく少数派でしょう。そうした例外的な人を除けば,本格的な勉強の前には,試行錯誤の期間を必ず設けたほうがいいと私は思っています。

勉強する前に,勉強する姿勢をつくる

 おそらく多くのみなさんは,学問というのは伝統があって,立派なものであり,疑う余地はないものだと考えていると思います。ましてや教科書は,偉い学者が考えてきたことをまとめたものだから,書かれていることは全部正しいと思っているのではないでしょうか。

 もし,「先生,それ書いていること違うんじゃないですか」と質問する学生がいたら,ひねくれたやつだとなって,先生からもまわりからも白い目で見られるのが関の山です。

 そのため,勉強というのは,書かれていることをいかにきちっと覚えるかだということになりがちです。勉強をするとなったら,本を読むにせよ,講義を聴くにせよ,無意識のうちに,とにかく偉い御説を一生懸命覚えよう,要点をつかもうとしてしまうのではないかと思うのです。そうすると,勉強は退屈でつまらなくなりますし,頭の中もすぐにいっぱいになってしまいます。

 でも,勉強をはじめる前にまず知っておいてほしいのは,本の内容を覚える必要なんてまったくないんだということです。読んだことや聞いたことをそのまま頭の中に入れるだけでは,それは,本当の意味で学んだことにはならないのです。

 勉強や学びのプロセスとは,実は,いったん押し返してみることです。

 偉い先生が言ったことを鵜呑みにするのではなくて,教科書でも本でもそこで得た知識をもう一度自分なりに組み立ててみる。場合によっては,著者である偉い先生とは違う理屈を自分なりに語れるくらいにしてみる。本当に正しいのかという反論も含めて頭の中で考えていくことが,学びの大事な過程なのです。いや,それこそが学びです。何度も頭の中でさんざん反論してみたあげく,ああ,やっぱりこの人の言っていることは正しいかと,自分で納得できたときに,初めてその内容がわかったと言えるのだと思います。

 とりわけ,これまで受験勉強など解答テクニックの習得がしみついてしまっている人は,何でもかんでも素直に受け入れすぎる傾向があるように見えます。本に書かれていることは疑いもなく信じてしまうし,とくに偉い先生が言っていることや,有名な新聞に書かれていることを素直に信用する傾向があります。

 あまりに素直に読みすぎてしまうと,右から左に抜けていってしまうので,結局のところ本当の意味では何も身につかないんだと思います。

 極端なことを言えば,勉強は疑うことからしかはじまらないと私は思っています。学びたいという欲求は,何か疑問があったり反論があったりするところから湧き出てくるものです。ですから,学ぶクセをつけるには,教えられたことをただ素直に受け入れるのではなく,疑問を持つことが第一だと思うのです。

本の中に正解を探さない

 私は本から得られる何らかの情報や知識をもとに,自分なりに考えていく過程のほうが勉強するうえで大事だと考えていますから,本を完璧に理解することに時間と労力を費やすのは無駄だと考えています。わからない単語があっても別にいい,わからない内容があっても別にいいというふうに割り切って読んでいってかまわないと思っているのです。

 ただし,その本の基本コンセプトや基本の考え方については,きっちりわかるように読むことは大事だと思います。入門書や概説書といっても,初めての分野なのですから,要点だけつまみ食いというのはなかなかできません。ですから,その本やその分野の勘所がわかるまでは,少し精読する必要があると思います。

 本を書いている著者には何か大きな考え方があって,1つひとつ組み立てながら書いているはずなので,そういう何かベースとなる考え方をおぼろげながらでもいいから,理解できるまでは,ある程度しっかり読んだほうがいいでしょう。

 ですから,こうした意味でも,本を2段構えで読むことは意味があるのです。

 1回目は書かれている内容をすべて受け入れるつもりで,ともかく読み進める。その目的は,筆者の考え方なりメッセージなりを理解することです。そこがある程度わかってくるまでは,少し腰を据えて我慢して読むことが必要です。ただし,枝葉の部分や難解な部分には,あまりこだわることなく読み進めることです。最後まで読み進めてみると,途中でわからなかったことも,読み返してみて理解できることもあります。

 考え方やメッセージがある程度理解できたら,2回目は勘所みたいなものをつかんでいくのです。そのときは,批判的な目を持って疑問を持ちながら読んでいきます。2回目は,興味ある部分を重点的に読んでいくのがいいでしょう。そのうえで,わからないことは,時間をかけて何度も読み直していけばいいのです。

ものごとを「普遍化」させていく

 そもそも,経済学や歴史学のような社会科学系の学問を学ぶ場合,最終的には社会をどのように理解するのか,その理解の仕方を身につけるところに意義があります。例えてみれば,社会というとりとめのないものを料理するために,その道具として包丁や料理用具を手に入れるようなものです。

 社会で起こっている出来事や自分の目の前に起こっている現象を,自分なりにどう理解して,どのように解決に持っていくのか。仕入れた知識や情報を材料にして,そこまで自分の中で考えを深めて,実際に役立たせていくことに,学問を勉強する意義があります。

 歴史の勉強で例えてみましょう。歴史を学ぶ意義は,単に年号や事実を記憶するものだと考えている人も多いかもしれませんが,私はそうではないと思います。人によって意見は分かれるでしょうが,私は歴史から未来へのアドバイスをもらうのが目的だと考えています。

 もちろん,歴史の出来事をそのまま教訓に使えるわけではありません。

時代や地域の違いを超えた「普遍的な構造」を見いだす

 そこでヒントになるのが,「普遍化」というキーワードです。

 「普遍化」という視点を持って,17世紀のオランダで起きた,いわゆるチューリップ・バブル以来のバブル経済の歴史を勉強していけば,現在起きているバブル的な経済現象がどう推移していくのかの見当がつきますし,将来バブルが起きたときに対処の仕方や起こった原因などを理解できます。

 このようにさまざまな歴史上の出来事の中から,時代や地域の違いを超えた「普遍的な構造」を見いだすことが重要です。

 この普遍化の作業がなければ,歴史で学ぶことは過去の一事例に過ぎず,使いものにならないと思うのです。それは歴史に限らずあらゆる学問で言えると思います。

 表面的な歴史的事実は何もしなければ単なるデータに過ぎません。その歴史的なデータを自分なりに分析しながら,組み立て直したり,なぜこの事件が起きたのだろうと考えたりしながら,何か未来の自分たちに生かすメッセージを受け取ろうとして歴史を学んでこそ,意味があると思うのです。

 だからこそ,歴史的な事実から,いつの時代にも通じる普遍的なストーリーを読み取るという「普遍化」の作業は重要なのです。

 それによって,自分なりに理解してきたものが,もう一段階熟成されていくきっかけになるのではないかと思うのです。さらには,現在の自分が置かれている状況を,今よりも俯瞰して見られるようになるでしょう。それができれば,学問というものが,机上の空論に終わらず現在や未来に生きたものになるはずです。

≪良い内容の記事に出会いました。「本は読むもので,本に読まれるな」にも通じます。勉強や考え方の本質の一端に触れることができたことに感謝します≫

お読み頂き,有り難うございました<(_ _)>

御礼‼

昨日,2022年6月9日で,当ブログのアクセス数が2000件を超えました。

その中には,間違いでアクセスあるいは一瞥して去ってしまった方もいらっしゃることでしょう。

そんな方をも含めて,御礼申し上げます。

今後ともよろしくお願い致します。

「疲れない」人づき合い(40代からだけでなく),人間関係を整理するコツ4つ

 以下は,ESSE-online提供記事のほぼほぼコピペです。最後に≪私感≫を付け加えました。

 年齢を重ねるなかで,人とのつき合い方も変わってくるもの。「ものだけではなく,人間関係も『適量』を考えるとストレスがなくなりますよ」と話すのは,40代のライフオーガナイザー・高田舞子さん。ここでは,そんな高田さんにちょうどいい人間関係のコツを教えてもらいました。

40代からの人間関係の適量って?上手に整理するコツ

 仕事をしていれば社内外でのつき合い,子どもがいればPTA活動や部活,ご近所づき合いなど,さまざまな人間関係を抱え,それに付随したやるべきことに追われてしまいがちな40代。

 なんとなく忙しい,うっかりミスが多くなった,なにか忘れているのではないかと不安になる…など,なんだか心が落ち着かないことはありませんか。もしかしたら,抱えている人間関係が多すぎるのが原因かもしれません。

  • 整理するのが難しい「人とのつき合い」

 一般的な片づけとなると,ものや空間が対象になります。同じようなものが複数あったり,使っていないものがあったりした場合,すべて目に見えるものなので手に取って比較ができ,手放すものと残すものを判断することができます。

 では,人とのつき合いはどうでしょうか。

 40代・50代となるととくに,仕事に家事,子育てや介護など,たくさんの物事が私たちを取り巻きます。空間の片づけと同じように,気持ちや人との関わり方,時間の使い方も整えることができるとはいえ,人間関係を整理するなんて冷酷で非情にも感じるし,どう整理していいか分からないですよね。上手く整理できずに,イライラや不安だけが募ってしまうことも。

 そこで,40代になってから意識している私の人づきあい整理法をご紹介します。

人間関係をストレスなく見直す4つの方法

 無理することなく「人間関係を整理」できる4つのステップがこちら。

  • 1:自分の感情を客観的に考えてみる

 人間関係は目に見えない抽象的なもののため,整理するのは難しいですよね。でも,空間の整理と同じように考えてみると分かりやすくなります。私は以下のように,心のなかの感情をひとつひとつ出して,それを客観的な事実として捉えるようにしています。

・今日友達と会った⇒楽しかった/疲れた

・疲れたとしたらなぜなのか⇒時間が長かった/相手に共感できなかった

・時間が長かった⇒次回は事前に終わりの時間を決めて約束する

・相手の価値観とは少し違った⇒こちらから誘うのはやめる。誘われたときも無理に合わせなくてもいいと考える

 人間関係でモヤモヤを感じても,相手や自分を非難したり擁護したりしてしまいがち。さらには,その感情の原因に向き合わずフタをしてしまうことも。

 自分の感情を出すことと,なぜ楽しかったのか? なぜ疲れたのか? など,その原因を客観的に追及することができると,モヤモヤが少し可視化できます。

  • 2:「人間関係」ではなく「予定」を書き出して整理

 もうひとつ,人間関係を可視化するのにおすすめなのが,「毎日の予定」を洗い出すこと。仕事や余暇,名もなき用事まで,自分が毎日どんな行動をしているのか? それを見える化します。

 さらに深掘りしたい人は,それらに費やしているおおよその時間を算出するのもいいでしょう。面倒な人は,手帳の予定欄の横に数字を書き込むだけでもOK。「ヨガ」の横に「1.5」と書くだけでも時間を可視化できます。

  • 3:それぞれの予定を「自分軸」で仕分けする

 このように書き出した予定を以下の4つに分類し,色分けもしてみました。

(1)自分を高める時間

(2)心地いい,心穏やか,心躍る時間

(3)(1)でも(2)でもないが必要な時間

(4)上記以外の時間

 なにかを仕分けるときは,好きか否か,手放すか否か,など2択ではなかなか判断できません。

 クローゼット整理を例に挙げると「これは好きではないけど,着ているし…」「これは着ていないけど,高かったし…」などと考えてしまい,一向に進まないですよね。でも,そこに3つか4つの選択肢があれば,事実に沿って「分ける」ことができるので判断しやすくなります。

 頼まれたイベントへの顔出しやママ友とのランチ,子どもの習い事から,読書やヨガなど自分の余暇も含めて整理。

 予定が増えれば増えるほど,ほかの予定との調整はもちろん,移動時間もかかります。予定に追われると買い物やLINEの返信ですらタスク化されてしまい,精神的な負荷はもっとかかります。

 心地いいとは言えない,自分を高めるとは言えない予定に気づいても,それらを即切り捨てる必要はありません。そんな時間があると分かっただけでも収穫です。とくに人間関係は相手があってのことなので,急に変えるのは自分にとっても負担になります。徐々に距離を置いたり頻度を減らしていくことで,自然に手放していくのがいいと思います。

  • 4:「他人軸」でも考えてみる

 2で紹介した仕分け方法は自分軸が中心。(1)と(2)は残していてもいい時間。ですが,多すぎるなら手放すことも必要ですし,選択肢(3)についても検討が必要です。

 そこで,「周りが困るか」という他人軸で考えることに。

 私の場合は主に仕事を整理する際に,「この活動を辞めたら周りは困るか」「どうすればそれを最小限におさめられるか」と考えました。

 7年近く続けていたおひるねアート講師の活動を終了するときは,その半年前にリピーターのお客様に伝え,時間のゆとりを設けました。懐かしいお客様が会いに来てくださったり,常連ママたちともコミュニケーションの時間をたくさん取れたりと,気持ちのいい終わり方ができました。

 一大決心でしたが,その時間を手放したとしても,築いた人間関係は工夫次第でその後も続けられると気づくことができたのも大きかったです。

 「人間関係を整理する」ことに抵抗があるならば「時間を整理する」と意識を変えるといいかもしれません。なにごとにも適量があります。暮らしを豊かにするのはものの量だけではありません。ものや空間のほかに,情報,人間関係,時間の使い方,習慣や思考までも片づけの対象になり得ます。

 スマートな40代を過ごすためにも,さまざまなことにおいて自分にとっての「適量」を考えられるようになりたいですね。

≪40代を例にとったという内容のようです。いつの年代であってもスマートに過ごすためには「適量」が必要ですね。とはいえ,相手の方が「善意」の場合には?≫

お読み頂き,有り難うございました<(_ _)>

数字を使う説明で「仕事ができない人」と「できる人」を分ける決定的な差

 以下は,ダイヤモンド・オンライン提供記事のほぼほぼコピペです。最後に≪私感≫を付け加えました。

 「あの人,数字を使った説明がうまいなぁ」。数字を巧みに使った話術に,思わず感心してしまった経験はないだろうか。逆に,説明下手な人が話に数字を持ち出すと,かえって相手が理解できなくなってしまうことも……。現在,東京大学大学院で「認知科学」をベースとした研究を行う犬塚壮志氏は,元カリスマ予備校講師で『説明組み立て図鑑』の著者である。犬塚氏によれば,数字を使った上手な説明には,ある共通点があるという。(教育コンテンツプロデューサー/株式会社士教育代表取締役 犬塚壮志)

数字を使った説明が,うまい人と下手な人がいる

「どうして分かってくれないんだろう……」

「イマイチ伝わっている気がしない……」

 一生懸命説明しているのに,相手はどうも理解してくれないようで,そこにもどかしさを感じたことはないでしょうか。自分としては理解できる,納得がいく話なのに,なぜか相手はしっくりきていない。特に,数字を持ち出すと,さらに相手は分かっていない顔になる,なんてことも……。

 その半面,仕事ができる人は,会議やプレゼンで数字をバンバン使います。数字を持ち出して説明することで,相手には確実に伝わり,理解が進む。さらに相手をグイグイ惹き込んでいく。「この人,数字の見せ方が本当にうまいなぁ」と,感心してしまうほどです。

 いったい,数字を使った説明がうまい人とそうでない人とは,何が違うのでしょうか?

 数字を使った説明がうまい人と下手な人の違いとは何か?この疑問は,私が入社した頃に常に感じていた疑問そのものです。

 私は新卒で,駿台予備学校という予備校に入社しました。仕事の中心は,講義で化学を生徒に指導すること。化学という教科は,ざっくり言うと,目に見えない原子や分子のレベルで物質の構造や変化を読み解く学問です。

 そのため講義では,物質にまつわる目に見えない大きさや極微量の重さ,莫大な個数などを分かりやすく説明しなければなりません。ただ,教壇に立ち始めた当初,そういったイメージしにくい数量を生徒にしっかり理解してもらうのに,とても骨が折れたのを今でも覚えています。化学で扱う有名な数量,「6×1023」という天文学的な大きさの数字などはその典型です。

 こうした経緯もあり,人一倍,数字を用いた説明の技を磨く必要があった私。プライドをかなぐり捨てて,説明がうまい同僚講師をひたすら分析したり,教えを乞うたりしました。その結果,数字を使った説明がうまい人たちに,ある共通点があることに気付いたのです。

数字を使った説明がうまい人たちの「共通点」とは?

 その共通点とは,数字を使った「比較」のスキルに長けていることです。相手がイメージしにくい数量を,比較を使って一発で理解させるのが上手なのです。具体的には,以下の2ステップで説明を組み立てているケースが多いことが分かりました。

Step1 相手がイメージしにくそうな数量を,あえて先にダイレクトに示す

Step2 Step1で示した数量と,相手が知っているであろう数量を比較する

 Step1では,相手に分かってもらいたかったり,インパクトを出したかったりする数量を,まずダイレクトに伝えます。「この土地の面積は,およそ××ha(ヘクタール)あります」のようなフレーズを使います。

 Step2では,相手が知っている物の数量でいうと,それはいくつ分に相当するのかを示します。「この土地は東京ドーム×個分です」などのフレーズです。

 面積であれば「東京ドーム」や「学校の教室」,高さなら「富士山」や「東京タワー」などのように,相手が何となくでもイメージできるような「共通の基準」を,その数量とともにいくつかストックしておくと便利です。記事の最終ページに一覧にして掲載しますので,何か数字を説明するときにぜひ使ってみてください。

「ビタミンCが1000mg」は多い?少ない?

 また,この手法は,数量そのものにインパクトを与えたいときにも効果を発揮します。

 例えば,「このドリンクにはビタミンCが1000mg配合されている」という数量にインパクトを与えたいとします。「1000mg入っています」「とても多い量なんです」とただ伝えるだけでは,1000mgが多いのか少ないのか相手はイメージが湧かない可能性があります。

 しかし,「このドリンクにはレモン50個分のビタミンCが含まれています」と付け加えれば,相手は「レモン50個分のビタミンCって,すごく多そう!」と感じてくれるでしょう。レモンを「共通の基準」にするのです。

レモンを共通の基準にする理由

 これは「レモンにはビタミンCが豊富に含まれている」という相手の認識が元々あるためにできる説明です。このとき,相手がそう認識していないものを共通の基準にしようとすると,返って相手を混乱させてしまうリスクもあります。

 例えば,同じ例で「このドリンクにはパプリカ5個分のビタミンCが含まれています」と,パプリカを共通の基準にして伝えたらどうなるでしょうか?おそらく,レモンの数で比較したときよりもインパクトは弱くなるはずです。なぜなら,よほど野菜に詳しくない限り「パプリカはビタミンCが豊富」という認識を相手は持っていないからです。しかも,レモン50個分という表現に比べパプリカの個数は5個と,数量的にも少なくなり,インパクトが弱くなってしまうのです。

 説明を組み立てるときのコツは,(1)「共通の基準」は,イメージが相手に伝わるものを選ぶ。(2)相手が高確率で知っていて,かつ相手にインパクトを与えられる数量で表現できているかどうかを事前に確認する,この2点です。

 相手が高確率で知っているというのも大切です。スポーツ好きの大人であれば「東京ドーム」や「テニスコート」といえば,広さのイメージが湧きやすいでしょう。しかしスポーツに興味のない小学生は,「東京ドーム」や「テニスコート」と言われても広さのイメージが湧きにくい可能性があります。その場合,共通の基準として「学校の教室」や「東京ディズニーランド」などを選ぶほうが理解してもらえる確率は高まります。その小学生が住んでいる地域によっては,「東京ディズニーランド」よりも「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」のほうがより良いかもしれません。相手の属性や,相手が普段の生活で見聞きしているであろうものを推測し,そこから「共通の基準」を選ぶことが重要なのです。

 共通の基準に例えると,説明したいものはいくつ分になるのか。説明の準備段階では,電卓を持ちながら伝えたい内容を詰めていきましょう。

 例えば,成人男性の体重を共通の基準として,エレベーターの重量制限を説明する場合を想定してください。

Step1 「このエレベーターの重量制限は650kgです」

Step2 「成人男性がだいたい10人乗れるくらいです」

 この例の650kgのように,相手に分かってもらいたい数量があるけれど,その数量を相手がイメージできなさそうなときに有効な説明の仕方です。自分が伝えたい数量(650kg)と,相手が知っている数量(成人男性のおおよその体重)をすり合わせることで,一発で相手に理解してもらえます。

 相手がすでに知っているものと,自分が伝えたい情報をスムーズに結び付ける説明ができるのは,仕事ができる人の説明の大きな特徴です。「共通の基準」が,理解の架け橋になるのです。ぜひ,「比較」を駆使した説明スキルを磨いてみてください。

おすすめの「共通の基準」一覧

 最後に,使えそうな「共通の基準」を紹介します。本記事で紹介したステップと合わせて,数字を説明するときに使ってみてください。

[高さ]

・3階建ての建物 9~10m

東京スカイツリー 634m

・富士山 3776m

[広さ]

・学校の教室の広さ 70平方メートル(≒8.3m×8.3m)

・テニスコート(ダブルス) 261平方メートル(≒79坪)

・東京ドーム 4.7ヘクタール

[体積]

・お風呂の湯船 200L

・25mプール 54万L(540立方メートル)

[速さ]

ウサイン・ボルト 100mを9秒58(≒時速44.6km/h)

・新幹線 最高時速320km/h

[重さ]

・2Lペットボトル1本 2kg

・成人男性の平均体重 1人 65kg

[文字数]

・原稿用紙1枚あたり 400字

・ビジネス書1冊あたり 約10万字

[お金]

・大卒の初任給の平均額 22万6000円(2021年度)

・日本の国家予算 106.6兆円(2021年度)

※すべて,おおよその値です。

≪とても示唆に富む内容でした。是非,応用したいものです≫

 

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ブームに乗って地方に移住した「ワガママすぎる都会の移住者たち」の実態!

 以下は,現代ビジネス提供記事(泉谷 勝敏(ファイナンシャルプランナー))のほぼほぼコピペです。最後に≪私感≫を付け加えました。

失敗事例は田舎のせいだけではない

 テレビや雑誌,ネットなど各メディアで,都市部の密集した暮らしから,人口の少ない地方へ移住する,いわゆる「コロナ移住」という言葉をよく目にする。

 リモートワーク・テレワークが導入され,勤務地以外のどこで暮らしていても仕事ができる環境になったことは非常に大きい。過疎に直面する地方自治体にとっては,田舎の良さをPRする絶好の機会である。  

 しかし,ちょっとした移住ブームのおかげで,にわか田舎ファンが増え,各地で迷惑をかけているという事例をよく耳にする。  

 何年もかけて地方移住を検討している人と,最近になって急速に地方移住に興味を持った人では性質が違うので,受け入れ側としては慎重にならざるを得ない。  

 自治体の窓口の相談に来た人に対しては,担当職員などが注意点などを伝えることで未然にトラブルを防いでいるが,ネット上で手ごろな空き家を見つけ,いきなり縁もゆかりもない土地へ飛び込む人には伝えようがない。  

 都会も地方も日本であり,法律は同じだ。しかし,文化は全く違う。それを理解せずに飛び込むと,いろいろな摩擦が生じる。  

 筆者自身,移住者であり,長年受け入れ側と移住希望者のコーディネートをしているが,当然一方だけが悪いということはない。  

 地方移住の失敗事例というと,移住先・田舎の方に問題があると思われがちだ。実際,ネット検索で上がってくる失敗事例は,田舎の人は閉鎖的で受け入れてくれないなどといった,田舎が悪いという意見が多い。  

 そこで今回は,移住者自身が原因となる失敗の実例,「田舎のこういうところに気をつけて」ではなく,「移住を考える当人自身のこういうところは気をつけて」という角度から紹介したい。

あなたはお客様ではない

 2011年の東日本大震災以降,消費するだけの生活に疑問と不安を抱いた若者の間で「田園回帰」がはじまったことと,第二次安倍政権が打ち出した地方創生により,各自治体は移住者誘致に積極的に取り組むようになった。  

 移住PRと観光PRは似て非なるものであり,良い面だけでなく,悪い面も伝えないといけないのだが,移住PRのノウハウがない自治体は,観光さながらのPRを行った。  

 移住者は客ではない。まちの住民となるのだ。しかし,受け入れ側がそんな調子だから,移住をあたかも観光のように錯覚する移住希望者が増えてしまう。  

 役場窓口の担当者に対して「移住したらどういった優遇をしてくれるの?」や「あなたたち,移住してほしいんでしょ?」といった,お客様目線の移住希望者は珍しくない。  

 百歩譲って,担当者相手だけならまだしも,地域住民に対しても同様の接し方をする。地域に新しい仲間が増えたと思っていたら,お客様扱いしろと要望してくる。  

 このような「サービス依存症」の人に移住されれば,地域住民は困惑してしまう。関わりたくないと思うのも無理はない。  

 また,サービス依存症が重症だと,近所からのおすそわけにも感謝が薄い。おすそわけは当たり前ではない。もらったなら,何かしらの形で感謝の気持ちを表すのは当然だ。上げ膳据え膳のサービスを求めるなら,都会から出ないほうが良いだろう。  

 移住関連の記事で「田舎に住めば,おすそわけがもらえます!」とよく目にする。 おすそわけをもらったらお返しをする。大人として自然な対応だ。お返しといっても,近所周辺の草刈りや,相手が高齢者なら重い手荷物を運ぶのを手伝うなど,そんなことで構わない。  

 地域住民となったのだ。客ではないのだから,してもらうことばかり考えず,受け入れてくれた人々の善意を大切にして欲しい。忙しくて何も出来ないときもあるだろう。だからこそ常に感謝の気持ちを忘れてはいけない。おすそわけをすることが当たり前の地域に入ったのなら,されるのが当たり前にならず,することが当たり前にならないといけない。  

 しかしなかには,自分たちの方が優れているとでも言うかのように「上から目線」で地域住民と接する移住者たちもいる。その実態については,【後編】「地方移住先で「上から目線」を炸裂させ,地域で嫌われる「都会からの移住者」の残念な実態」でお伝えしよう。

≪残念ながら,勘違いなさっている方もいらっしゃることでしょう。そのような方は,それまでの地域でも同様の暮らしをなさってきたのかもしれません。それで,田舎に……。都会で生活できない方に,田舎暮らしはできないでしょう≫

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空き家になった「再建築不可物件」に解決策はあるか?

 以下は,マネーポストWEB 提供記事(週刊ポスト2022年5月27日号)のほぼほぼコピペです。最後に≪私感≫を付け加えました。

「再建築不可物件」の問題をどう解消する?

 一度更地にすると,新たに建築することができない「再建築不可物件」というものがある。中には,長年空き家のままで放置され,近隣住民が迷惑しているケースもあるだろう。再建築不可物件の問題について,弁護士の竹下正己氏が実際の相談に回答する形で解説する。

【相談】

 東京の下町に引っ越し。不快なのは,隣町に再建築不可物件といわれている空き家が何軒もあること。どの家もボロボロで景観も悪く,地震が多い昨今,この家々が災害被害を大きくするのではと心配になります。更地にできないのは,自治体の怠慢でしょうか。何をどうすれば,この問題を解消できますか。

【回答】

 再建築不可物件とは,現在の建物を取り壊せば,新たに建築できない土地をいいます。『建築基準法』では,建物の敷地が道路に2m以上の幅で接していなければ,建築確認を受けられません(接道条件)。袋地であったり,公道に面しても間口が狭く,2m未満などの場合です。建築確認がない建物は,取り壊しを命じられることもあります。

 この点,昭和25年の『建築基準法』施行前に,接道がない状態で建築された建物は違法建築になりませんが,改築ができず,再建築不可物件になっています。

「柱一本残せば,大修繕で改築できる」という話も聞きますが,注意が必要です。小規模木造住宅は,建築確認を受けなくても大規模修繕ができますが,再建築不可物件は大規模な修繕をすると,その時点で『建築基準法』が適用されます。その場合,一定の事項については適用除外もありますが,接道条件はそこに含まれておらず,それまで適法だった再建築不可物件が違法な建物になり,役所に知られると,建物の除却等の措置を命じられる可能性も否定できません。」

 大規模修繕とは,「建築物の主要構造部の一種以上について行なう過半の修繕」です。したがって,壁や柱の半分以上の修繕はできません。しかし,小規模の修繕はできるので,建物を長く維持することは可能です。とはいえ,土地に完全な効用がないことは否定できず,価値も大きく下がります。そのため,不動産を購入する際,接道条件の有無は非常に重要な要素なので,仲介する宅建業者が説明すべき事項になっています。

 さて,その解消ですが,再建築不可物件であっても建物が使用できる限り,無価値とはいえません。所有者が,周囲の環境にふさわしいリフォームができるように支援する制度を整えるか,公で買い上げるくらいしか思いつきません。

【プロフィール】

竹下正己(たけした・まさみ)/1946年大阪生まれ。東京大学法学部卒業。1971年弁護士登録。

≪かつては農地を宅地に造成した場合に,その後はミニ開発の宅地に。心配な方は法務局(登記所)発行の「登記事項証明書」と「図面」でご確認下さい≫

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NHK受信料,払わなかったらどうなる? 

 以下は,弁護士ドットコムニュース編集部提供記事のほぼほぼコピペです。

 テレビ放送をめぐる環境は,インターネットの普及によって,大きな変化が起きている。NHKプラスやTVerといった,放送番組のネット同時配信やアーカイブ配信も普及してきた。 今後,若い人たちを中心に,テレビ受信機で放送番組を見ない人が増える可能性も高く,テレビを置く人に受信契約を義務付けているNHKの受信料をどうするのか,ということも論点になりそうだ。

 自宅にテレビを置いていても,「ほとんど見ないから払わない」という主張もかねてからあるが,現状の受信料制度のもとで,受信料を支払わなかったらどうなるのだろうか。あらためてまとめてみた。

  • 最高裁判決で受信料制度は合憲に

 NHKのホームページによると,2020年度末時点で,テレビ普及世帯が4650万件,受信契約対象世帯数(テレビ普及世帯数からテレビ故障等世帯数を引いた数)が4610万件,世帯契約数(受信契約数から事業所契約数を差し引いたもの)が3811万件,世帯支払数が3703万件となっている。

 これらのデータからNHKが推計した世帯支払率は,世帯支払数÷受信契約対象世帯数より,80.3%だった。すなわち,テレビを所有している世帯の約2割が,未契約も含めて,受信料を支払っていないということになる。受信契約対象であるにもかかわらず契約をしていない世帯は799万件にのぼる。

 NHKの受信契約は,放送法64条1項によって義務付けられている。2017年,テレビを置く人に受信契約を義務付けた放送法の規定は合憲であると最高裁で判断されている。 また,過去の判例では,ワンセグ放送を受信できるカーナビや携帯電話についても「協会の放送を受信することのできる受信設備」に当たるとされ,すでに世帯契約をしている場合を除き,受信契約の対象となっている。

 NHKがうつらないテレビを所有していたとしても,契約義務があるとする最高裁判決が2021年に出されている。

  • 支払督促申立ては11,534件

 では,契約義務がある,ということで,NHK側が契約を申し込んだ時点で自動的に受信契約が成立するかというと,そうではない。

テレビを持っているのに契約を拒む人に対しては,NHKが個別に裁判を起こし,裁判所が契約の承諾を命じる必要がある。また,受信料を払っていなかった場合でも,罰則は科されない。

 契約しているにもかかわらず,受信料を滞納していた場合は, NHKが支払い督促を申し立てると,裁判所から滞納者に督促状が届く。滞納者が2週間以内に異議申し立てをしなければ,裁判所による賃金などの差し押さえが可能となる。異議申し立てを行えば,通常の民事訴訟に移行する。 NHKは,滞納者に対してはまずは訪問や文書によって支払いを促し,支払い督促は「最後の手段」だとしているが,2022年3月末時点での支払督促申立て総件数は11,534件にのぼっている。

  • 「ネット受信料」に総務省は否定的

 ネット配信なども広まっていく中で,受信契約のあり方はどう変わっていくのだろうか。 NHKは,テレビを持っていない人や日常的に使用していない約3000人を対象に,専用のアプリやサイトを通じてサービスを提供する実証実験を4月22日から始めている。 この取り組みに関連して,4月8日の総務大臣会見で,記者から「ネット受信料徴収につながるのではないか」という質問が出た。

 これに対して,金子総務相は「幅広く国民・視聴者の皆様からの御理解を得る必要があり,総務省としては,テレビを設置していない方を新たに受信料の対象とすることは,現時点で考えておりません」とコメントしている。

 確かに,ネット受信料を徴収するとなると,大きな反発が出るのは間違いない。一方で,既存のテレビ放送を想定した受信料制度だと,視聴環境の変化とのズレが生じる可能性もある。最高裁判決で受信料の制度が合憲となったとはいえ,環境変化に対する受信料の「あるべき姿」にたどり着くのは簡単ではないだろう。

 

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ストレスや怒りで「メンタルが崩壊しやすい人」に欠けている一つの考え方

 以下は,ダイヤモンド・オンライン提供記事のほぼほぼコピペです。最後に≪私感≫を付け加えました。

 わたしたちがいま生きているのは「ストレス社会」とも呼ばれる,精神的に疲労が溜まりやすい時代だ。気持ちが沈みがちな人も多いのではないだろうか。

 人間関係や仕事,お金や健康など,悩みの種を挙げはじめたらきりがないが,むやみにストレスを溜め込んでしまうと心身に不調をきたしてしまう。

 そこで,精神的不安を軽減するために参考になるのが,仏教の視点から人生の様々なストレスや悩みへの対処法を語るYouTubeチャンネルが人気の,現役僧侶・大愚元勝の初の著書『苦しみの手放し方』ダイヤモンド社刊)だ。SNSでは「心が洗われた」「人生の歩み方を学んだ」といった感想が相次いでいる。

 本稿では,本書より一部を抜粋・編集し,ストレスや怒りに振り回されて「メンタルが崩壊しがちな人」に欠けている1つの思考法を紹介する。(構成/根本隼)

イライラ・怒りの原因は「自分への執着心」

 人間の感情は,瞬間的に,突発的に爆発するものではありません。いくつもの火種がくすぶり続け,合わさり,少しずつ火力を増していきます。ですので,イライラや怒りを鎮めるには,「心の火」が燃え上がる前に「種火」のうちに鎮火すべきです。

 人がイライラの火種を抱えてしまうのは,「自分に対する執着心」が強すぎるから。要するに,「自分のことを大切に思いすぎている(自分のことを好きすぎる)」からです。

 大切なものを壊されたとき,人の心にイライラが芽生えます。たとえば,「100円ショップ」で買った食器を子どもが割っても腹が立たなかったのに,「1枚1万円」のお皿を子どもが割ると怒りたくなるのは,1万円のお皿のほうが「大切だから」です。

 自分で自分のことが「好きすぎる」人は,自分を大切に思うあまり,「自分が否定される」ことを極端に恐れています。

 思い通りにいかないとき,イライラしたり怒ったりするのは,防衛本能の発露です。他人を攻撃することで,大切な自分を守ろうとしているのです。

自分の感情を自覚することが重要

 では,どうすればイライラの種火を消すことができるのでしょうか。仏教が教える種火を消す処方箋は「瞑想」です。

 瞑想といっても,坐禅を組んだり,心を静めて仏に祈ったりすることではありません。瞑想というのは,心を「無」にしてイライラを抑えつけることではなくて,「イライラしている自分を認めて,全身で感じる」ことです。

 「今,自分はイライラしている」「このモヤモヤ感は,きっと怒りの感情だ」と,客観的に自覚することが瞑想です。

人は「イライラしている自分」を認めたくない

 多くの人は,イライラしているとき,「イライラしていないフリ」をします。他人に「そんなことでイライラするなよ」と指摘されると,「イライラなんかしてないよ!」と言い返したくなるのは,「イライラしている自分」を認めたくない,という反発心からです。

 怒りやイライラの感情は,抑えつけようとすると,反発して大きくなりやすい。一方で,「イライラしている自分」に気づき,「自分は今,イライラしはじめているんだ」と認めた瞬間,自分の心を落ち着かせることができるのです。

(本稿は,『苦しみの手放し方』より一部を抜粋・編集したものです)

≪私が忌み嫌う言葉の一つが「ストレス」です。この言葉の対極にあるのが「忍耐」「我慢」かもしれません。自己肯定だけの世界は恐ろしいと思うのは私だけでしょうか?「忍耐」「我慢」は,少なからず私を成長させてくれました≫

 

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荻原博子が警鐘!マイナ保険証で医療費UPの罠

 以下は,女性自身提供記事(荻原博子氏による解説)のほぼほぼコピペです。最後に≪私感≫を付け加えました。

 6月から,マイナンバーカードとひもづけたキャッシュレス決済で,買い物代金の25%,最大5,000円相当がもらえるマイナポイント事業の第2弾が始まる。

 第2弾は先の最大5,000円に加え,銀行口座の登録で7,500円,健康保険証として利用する「マイナ保険証」の登録で7,500円。3つで総額2万円相当のマイナポイントがもらえるとテレビCMも始まったが,いま,マイナ保険証が物議をかもしている。経済ジャーナリストの荻原博子さんが解説してくれたーー。

■普及させたいのに金額増。ちぐはぐな施策に

 マイナ保険証はすでに一部の病院で利用が始まっていて,健康診断の結果や投薬履歴などが閲覧可能で,受付時間が短縮できることなどがメリットです。

 しかし4月からマイナ保険証を使うと,患者が払う医療費が割高になるデメリットが起きてしまいました。3割負担の方だと初診時に21円,再診時に12円,薬の調剤に9円。マイナ保険証の導入病院で,従来の健康保険証を使う患者も初診で9円上乗せされます。

 マイナ保険証は国が進めるデジタル化の一環です。一般にデジタル化は人件費を削減しコストダウンにつながるはずで,わずか21円とはいえ,患者負担が増えるのはおかしい。

 なぜでしょう。

 背景には,病院側の導入の遅れがあります。4月10日時点で導入済みの医療施設は16.5%(厚生労働省)。国は読取り機を無償配布し補助金も出しましたが,システム交換が面倒で高いランニングコストで利益が削られると,導入をためらう病院が多いのです。

 そこで4月の診療報酬改定で,マイナ保険証を導入した病院には新たな診療報酬が追加されました。それが3割負担なら初診時に21円などの料金です。結果,マイナ保険証を導入する病院の利益は確保されましたが,費用負担が患者にのしかかることになったのです。

 国は’22年度末までに全国民がマイナンバーカードを持つ目標を掲げ,利便性アップの切り札としてマイナ保険証を推進しています。ですが,マイナ保険証を使った方ほど負担が増える。なんともちぐはぐな施策といわざるをえません。

 そもそも日本のデジタル度は世界から相当遅れています。スイスのIMD(国際経営開発研究所)の「世界デジタル競争力ランキング2021」によると,アジアでは香港が2位,シンガポールが5位,台湾は8位で,日本は28位。

 遅れを取り戻そうとデジタル庁が発足しましたが,初歩的なミスで情報漏洩が続き,最初の大仕事「ワクチンパスポート」はスマホの機種変更にも対応していないお粗末なもの。こんな状況では国に個人情報を預けられない,マイナンバーカードは取得しないと考える方がいても仕方ないでしょう。

 マイナンバーカードの交付率は43.3%です(’22年4月1日・総務省)。目標達成には“お金でつる”キャンペーンより,安全で不公平感のないデジタル行政の構築が急務ではないでしょうか。

荻原博子【PROFILE】

 身近な視点からお金について解説してくれる経済ジャーナリスト。著書に『「コツコツ投資」が貯金を食いつぶす』(大和書房),『50代で決める!最強の「お金」戦略』(NHK出版)などがある。

≪おっしゃるとおりです。マイナンバーカードに情報管理等の不信感を抱いていることが普及の障害になっているところに,デジタル庁のお粗末さがそれを助長する構図です。安全・不公平感の解消よりも「お金でツル」とは,国民も舐められたものです。しかしながら,釣られてみたいのは私ばかりではないようです≫

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