巷(ちまた)の学校blog

学校等では教わらなかったことを学び,賢い市民生活(家庭,仕事など)を営むためのブログです。ビジネスにも役立つかも。時には,就職や小論文にも言及。

言葉はどこからやってきて,どこへ行くのか?(1)

 日本語を使用する人数は,世界で10番以内に入るそうです。そして,似ている言語はほとんどなく,その起源もよく解っていないようです。

 いずれにしても言葉は生活の中から生まれ,ある地域において言語としてのまとまりをもつに至ったのでしょう。

*ここでは,言語はある程度の集合体,言葉は個人のものという程度の定義で進めさせて頂きます。

 

 近年,その重さを失ったり,意味やイメージが異なる用いられたり,それらを

失ってしまった言葉がいくつかあります。

 

*言葉に軽重という概念を持ち込んではいけないとも考えましたが,ここでは公の場で用いられる場合くらいの理解でお願い致します。

 

「謝罪」

 自己の非を認め,わびることです。

そこに,今後は悔い改めるという意味をも読み取ってしまうのは,私だけでしょうか?それは「ちょっとの想像力を働」かせ過ぎと言われてしまえばそれまでですが……。

 しかしながら,「謝罪」に対して「許す」という対応とをセットに考えると,私の見解が強ち間違いとは言えないのではないでしょうか?

 なぜなら,「謝罪」はそれのみで完結する言葉ではなく,「謝罪」する相手があって成立する言葉だからです。

 ある業界(議会議員)の方が「謝罪」会見で話した内容に嘘があって,さらに「謝罪」会見を……。あの方は誰に対して「謝罪」しているのでしょう?

 ある県で裁判になっている国会議員の選挙違反事件(一部確定)に関連した地方議会議員,それ以前に,ある地域で政治資金記規正法違反事件?の地方議会議員の「謝罪」にはその向こうに,県民・市民・町民?が散見されるものもありましたが……。

 

 「謝罪」が自己で完結した場合,「謝罪」の向こう側に人が存在しなければ,おのずとそれは「軽く」なるのも必然なのかもしれません。

 一度,その「重み」を失って軽くなってしまった言葉は,ある地域で浮遊し続けるしかありません,いつか人によって「重み」を与えられまで。

 それが言葉の宿命なのかもしれません。

 

お読み頂き,有り難うございました<(_ _)>