巷(ちまた)の学校blog

学校等では教わらなかったことを学び,賢い市民生活(家庭,仕事など)を営むためのブログです。ビジネスにも役立つかも。時には,就職や小論文にも言及。

御礼,1,000超⁉

この度(昨日),アクセス数が1,000回を超えました。

アクセス頂いた方々に,御礼申し上げます。

今後もちょっとの想像力を働かせて,「学び」を続けたいと思います。

読者数は相変わらず低調ですが,それにもめげず……。

今後とも,宜しくお願い申し上げます。

なお,同じころに始めたにもかかわらず,本ブログ以上に読者数・アクセス数が低調なhttps://ohenstuff.hateblo.jp/

もよろしくお願い致します。

中高年の方が中心ですが,中には中高生から2・30代の方のお役立ち情報もあります。

 

定年後にやることがない人は?「やる気スイッチ」をONに,若い方も!

 小川千尋さんという方の記事に加筆したものがありましたので,以下はそれを加除したものです。

 定年後にやることを見つけられるのは自分自身しかいません。以下は,見つけるヒントになりそうなことです。

 「定年退職したら、やることがない」という人は、公的年金額はそこそこ多い、退職金と現役時代に貯めたお金で、当面、生活費の不安がないからでしょう。60歳または65歳で定年退職した後は、25年から30年、あるいはもっと長い人生が……。

 この時間は、何もしないで過ごすには長すぎると思いませんか?やることを見つけて何かをしましょう。

 まず、生活費の不安がないなら、お金目的ではない仕事をすることを考えましょう。少子高齢化で働き手が徐々に減っていく社会環境、高齢者も働き手に加わることの社会的意義は大きいのです。今の60代、70代は高齢者と呼ぶのはそぐわないくらい元気ですから、働く体力・気力は十分にあるでしょう。

 退職するまでの仕事で培った経験を活かした仕事、全く新しい仕事にチャレンジするのも。働き方は、現役時代のようにバリバリでなくても。週に2日でも3日でも、早朝の2~3時間でも仕事をすれば、生活にメリハリができてやりがい、生きがいも。

 どうしても仕事はしたくない場合は、趣味・習い事、家事分担、地域活動、ボランティア活動などに。やることはたくさんありそうです。

 趣味・習い事はこれまで続けてきたことをさらに極める、時間ができたらやりたいと思っていたこと、全く新しいことでも構いません。趣味・習い事の内容にもよりますが、初心者でも10年続ければ、他人に教えられるようになり、新しい世界が広がるもあります。

 家事分担は、定年退職して家で夫婦が一緒にいる時間が長くなると、妻の家事の負担が大きくなります。夫に毎日3食用意するだけでも大変です(料理好きな妻は喜ぶかもしれませんが)。1食は夫が作る、掃除は夫が担当するなど、夫婦がストレスを感じなくて済む分担方法を相談して決めてはどうでしょうか。

 いろいろ試しながら、ちょうどいい分担の仕方を探ってみるのもいいかもしれません。

 地域活動は、町内会や祭りの役員を務める、サークル活動に参加するなど、会社人間だった夫が地域に馴染むいい機会です。もし、妻が先に亡くなって夫が1人になったとき、地域に馴染んでいれば孤立しないで済むでしょう。

 ボランティア活動は、子ども相手から高齢者相手まで幅広くありそうです。

 やる気さえあれば、やること・やりたいことは際限なく出てきます。新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、なかなか自由に行動したり、集まったりできない状況ではありますが、その分、興味のあることを調べたり、情報交換することはできるはず。

 

「やる気スイッチ」をONにしましょう。

 

と結ばれていました。

 

 若い時には自分が年をとることなど考えませんでした。まだまだ間に合うでしょう。定年を迎えた方も,まだまだ先が長い(ようで短い)?

 

お読み頂き,有り難うございました<(_ _)>

泥縄?

 その意味は,泥棒を捕まえてから縛る縄を綯(な)うこと,つまり,事が起こってから慌てて対策を立てたり準備をしたりすること,計画準備の足りないことです。

 

 泥棒を新型コロナに,縄をワクチン接種に例えて,一連の出来事を考えてみます。

 新型コロナについての情報はある程度確定してきました(変異株については除く)。そこで,ワクチンが登場し,いよいよワクチン接種です。

 当初,ワクチン接種は医療関係者(一部介護施設職員を含む),今年度65歳以上になる高齢者,それ未満の方の順でした。そして,接種が進まないことから,大規模接種会場を設置して,現在に至っています。地域によっては,すでに住民接種(2回目の期日も決定)が終了,また,それほど遠くない時期に1回目が終了して2回目が始まろうとしているようです。

 その意図は,新型コロナによる医療ひっ迫を解消するためでした。

 ところが最近,オリンピック選手・大会関係者,それに加えて大企業や大学に接種会場を拡大して,65歳未満の方への接種も早めようとしています。企業にはテレワークを,大学にもオンライン授業を要請していたのでは?医学部のない大学は?という疑問を抱くのは,私だけではないようです。

 

 さて,そうまでしてワクチン接種を急ぐ,その意図は?

 察するところ,オリンピック開催期間中及び閉会後のコロナ重症者を抑止することにあるようです。ワクチン接種により重症化率が下がることは判明しています。このままでは,ある方の首相の再選はあり得ないでしょう。

 大会期間中及び終了後に医療ひっ迫を生じさせなければ,大会開催の責任を問われることはないでしょう。そして,ある程度の経済効果も生じたとなれば,誰かは責任を問われることがないでしょう。

 ある種の賭けです。

 しかしながら,それが上手くいったとしても,国民を自己の賭けに利用し,飲食店やそれに関係する事業者に犠牲を強いることには,その方の品性・人間性が問われるべきだと考えます。

 もし,それが上手くいかなかった場合……。

 

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飲食店の感染対策は何のため? 見せしめ=店〆に反対する暴論!

 現在,最も感染対策設備を施しているのは飲食店かもしれません。確かに,対策としては不備だった時期があって,クラスターを招いたこともありました。

 しかしながら,3回目の非常事態宣言の前のまん延防止から現在の状況,感染者確認数の高止まりや微減を見る限り,飲食店に酒類提供の禁止要請や時短要請の要否に疑問を抱くのは,私だけでしょうか?

 私はこれを「見せしめ=店〆」と呼ぶことにします。

 コロナ対応の政府高官によれば,変異株は三密回避でも,紙幣からでも感染が避けられないとのこと。そうだとすれば,人流を止めて感染拡大を食い止めるという方策(まん延防止,緊急事態宣言)の中で,飲食店だけに強力な要請を強いることは,間違いなのではないでしょうか?

 通勤電車を見る限り,人流は何ら変化していません。

 

 ここからは,過激な発言・暴論で,批判はあるかもしれませんが……。

 人流を止めるのであれば,方法は一つしかありません。これから3か月間ロックダウン?して,その間に国民にワクチン接種をする。この主張の問題点は,その分のワクチンが現在確保されていない点です。

 そして,五輪・パラは,観客を入れて10月に開催することにしてはどうでしょう?

 一時的にはその経済的損失は計り知れませんが,その後の経済的利益は莫大で,持続性も充分でしょう。

 

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教員だった頃(4) (遅くなりましたが)新入生のGW明け(在校生の長期休業明けにも応用できそう)

 教員だったころの話です。先輩教員にたくさん教わったのですが,それを後輩?に引き継がずに退職してしまったので……。もし実践なさったとしても,その結果は自己責任でお願い致します。

 

 今年のGWは昨年と同様,部活動が制限されるなど,生徒は例年とは異なる日々を送ったことでしょう。

 しかしながら,休み明けのクラスの生徒の顔をご覧下さい。明らかに入学当初の顔と異なる生徒がいることに気がつくことでしょう。

 

【明るく目が輝いている場合】

 学校,主に部活動で,自分の居場所を作り,自分の目標を見つけつつある生徒です。それらは,一緒に入部した同級生によるものでしょう。

 

【暗く俯き加減,前後左右のいずれかに傾いている姿勢の場合】

 部活動の選択に失敗,または失敗しつつある生徒。主に同級生に端を発していることが多いようです。あるいは,友人関係や家庭の良くない変化に直面した生徒です。

 これまで何度も触れましたが,この年代の子どもはとても正直なせいか,自身の心情が言動に如実に表れます。

 できるだけ早く原因を見つけなければなりません。私は本人と話す前に,まず家庭に連絡して情報を得るようにしていました。

 中高生は,柔軟性に乏しく,融通が利くとは言えません。残念ながら,GW中に躓き,方向を修正できずにそのまま不登校や退学,卒業という最悪のケースも。

 

 これまでの(1)~(3)で,先輩教員に「たくさんのことを教わった」と書いてきました。それは事実なのですが,それ以上に個々の生徒に教わりました。

 何を教わったかというと「人生」です。以下の段落は,一般論(後付け)です。

 読書は「人生」の追体験であるとも言われますが,そして,本を読みなさいと言われます。また,ある種の本は,師となったり友となったりすることがあります。それらは「人生」を豊かにする手段にほかなりません。そのことは,人が歩む「人生」がいかに狭隘なことを表しているのかもしれません。次の段落から,本題に戻ります。

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医療崩壊って?危機的状況って?

 これまで2度の緊急事態宣言の発出や解除の基準の一つとして用いられてきたものの中に「医療崩壊」があります。

 そこで,医療崩壊,さらに,最近,大阪の医療関係者が口にする危機的状況についても考えてみます。

 医療崩壊とは,通常の医療ができないと定義したいと思います。例えば,院内で入院患者や職員の感染が確認されて,外来診療を中止,新規入院を停止することがそれに該当します。そうだとすれば,コロナ患者の入院態勢のために,そうでない新規入院の受入れができないこと,救急車で受け入れ先の病院を見つけることができないことも,それに該当するでしょう。

 したがって,これまで2度の緊急事態宣言下では,医療崩壊が生じていたのではないでしょうか?

 次に,「危機的状況」について考えます。

 大学病院の○○部長の医師が,移植手術を中止し,その分をコロナの重症患者対応に振り分けることについて,「危機的状況」と表現する報道がありました。

 これこそ「医療崩壊」と表現すべきでしょう。

 なぜ,「医療崩壊」と言わずに「危機的状況」と言ったのでしょうか?

それは,「崩壊」という語彙が「医療」と結合した場合に,意味が強くなりすぎて社会に混乱をもたらすと考えたためだからです。にも拘らず,基準の一つとして「医療崩壊」という語が用いられてきました。すなわち,「医療崩壊」という語は,国民に自粛を要請するための方便に過ぎなかったのかもしれません。

 

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言葉はどこからやってきて,どこへ行くのか?(6)「完全にコントロール」って?

「完全にコントロール

 このフレーズを覚えていますか?確か,オリンピック・パラリンピックの東京招致のプレゼンで元首相が,当時各国から懸念されていたフクシマダイイチの原発事故について語ったものです。

 最近,総理大臣が原発の汚染水(いつからか処理水*とも)の海洋放出を決定したことが,報道で大きく採り上げられました。決定の過程が不透明で議論を尽くしたとは言えない状況で,地元特に漁民の反対やこの10年の努力を顧みることなく,規制基準をクリアしての放出だから,風評被害を除けば大きな問題はないという言い訳をして。

*希釈(薄めただけ?)したら「処理水」に?

 飲んでも安全と発言した財務大臣兼副総理について,周辺の国から「まず飲んでから発言してもらいたい」との指摘を受ける始末。

 

 なんとこれが「完全にコントロールされている」ことの顚末です。

 

 

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「さざ波」どころか「波紋」かも?

 現政権の内閣官房参与が,日本における新型コロナの感染状況等を「さざ波」と表現しました。

 巷(ちまた)ではこれを,過小評価という観点から批判されているようです。

 しかしながら,私は,これでも過大評価ではないかと思ってしまうのです。報道でしか接することができませんが,世界の状況は日本の比でなかったように感じました。もちろん,病状を心配する気持ちやその死を悼む感情には違いはありませんが。

 感染者数やその死者数について比較すると,日本におけるそれは「さざ波」どころか「波紋」くらいなのかもしれません。

 

 そこで,新たな疑問が湧きます。

 先の発言者「さざ波・波紋」くらいに過ぎないことが事実だとすれば,にも拘らず,その状況に対応できない日本はどんな国なのでしょうか?

 コロナ対応の中心を担っているのは日本政府(前及び現政権)ですが,それを作った?選んだ?のは日本国民です。そして,その責任は日本国民が負わなければなりません。

 現在,五輪・パラ開催の是非で,日本は世界から注視されています。「さざ波・波紋」程度で,もし開催中止を申し出たら……?

 いずれにしても,日本国民は責任を負うことになり,私もその一人です。

 中には,現政権を支持していないあるいは反対しているから,責任を回避できるとお考えの方がいらっしゃるかもしれません。

 しかしながら,それはできません。なぜなら,日本が民主主義国家を世界に標榜している以上,日本国の責任は日本国民が負うからです。民主主義とは,そのようなシステムです。もちろん,多数が常に正しいかというと,そうとは言えないことも事実ですが……。

 

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重症者用病床の使用率が下がることは朗報?

 あるニュース番組のアナウンサーが,感染者の確認数,重症者用病床や軽症中等症の病床使用率,死亡者数などを読み上げます。それらはいずれも数や率の減少は朗報ですから,同じような抑揚で原稿を読んで構わないと思います。

 しかしながら,感染者数の確認が上昇あるいは高止まり?している3府県において,重症者用病床の使用率の減少は,必ずしも朗報とは言えないようです。

 なぜなら,その減少が死亡者によってもたらされているからです。

 変異株?によるものかは明らかでないものの,重症になるケースや急に重症になるケースが増えているとのことです。新型コロナに対応している医師は,重症者数の増加が死亡者数の増加そのものという指摘をしていました。そうだとすれば,前述のように,重症者用病床の使用率減少は死亡者の増加によることが明白です。

 先のアナウンサーは,そのことを理解しながらも,原稿を読んでいるのであればいいのですが,私にはそうでないように聞こえてしまいます。いっそ,その類のニュースは,無機質な抑揚で統一してしまった方が良いようにも……。

 増加数や減少数で一喜一憂するべきではないとの指摘が感染症の専門家からなされて久しい昨今,新型コロナ対策の「緊急事態宣言」「まん延防止」等に振り回されている方々にお見舞い申し上げます。

 

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エッ,居酒屋で「酒」を出せない?

 3度目の緊急事態宣言の対象都府県で,時短営業の場合,居酒屋を営む店舗では「酒」を出さない要請が……。

 こんなことってありでしょうか?

 これは実質,休業要請です。にも拘らず,協力金は,時短要請と同等の金額を考えているようです。居酒屋にはお金を出したくない意図がミエミエです。それは,選挙の票にならないからでしょうか?

 一方,生活必需品を除く1000㎡超の店舗には,休業要請です。1000㎡は約300坪,1坪は約2畳ですから,約600畳のお店です。こんなお店は,大企業,少なくても中企業と言うべきでしょう。

 一見,政府はこのような方の票を失うことを回避しなければならないはずです。しかしながら,両者はこれまでズブズブの関係でした。そしてこれからも持ちつ持たれつの関係を続けていくことでしょう。そうだとすれば,票を大きく失うことにはならないのです。

 多くの居酒屋は,小企業や個人経営です。休業要請に等しい扱いを受けながら,協力金は時短並み。

 

 政府は「短期間に,最大限の効果」を目的としていますが,先に発表されたIOC会長のGWについてのコメントと合致しているのはなぜでしょう?

 それは,政府から,予め今回の緊急事態宣言の期間と凡その内容が伝えられていたからでしょう。また,分科会の感染症の専門家の「期間が短すぎる」との意見を無視して,IOC会長の来日に合わせた,1週間ほど余裕を設けたと言っても過言ではないでしょう。

 ここで一言,IOCは,五輪を開催できれば,莫大な収入を得ることができるのです。だから,開催をしたいのです。日本人を犠牲にすることに何ら躊躇するものではありません。

 そんなIOCにモノを言える日本人はいないのでしょうか?

 このような情況に加え,保健所職員の過労,医療従事者の慢性的疲労医療崩壊が叫ばれています。それでも五輪・パラは開催すべきなのでしょうか?

 五輪・パラの開催について,日本はもとより世界のアスリートにも問いたいと思います。五輪・パラに出場するトップアスリートは,連盟や協会に登録し,かつスポンサー契約などとの関連があって,声をあげにくい状況にあるでしょうが。

 

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言葉はどこからやってきて,どこへ行くのか?(5)「丁寧に」の補足

 (2)で取り上げた「丁寧に説明」で変質・変容しつつある,あるいは,変化してしまった「丁寧に」の実例が,なんと登場してしまいました。

 それは,「丁寧な補償」という語句です。

 フクシマダイイチ原発の汚染水(処理水とも)を海洋放出する報道で,政府が風評被害に関する件(くだり)で用いられたものです。

 真意は,風評被害により,様々な面において補償が必要でしょうから,それらについて満遍なく補償の対象にするということでしょう。

 しかしながら,補償という重要な問題について,真意はどうであれ,「丁寧な補償」と語句でまとめてしまう意識が,当事者の不安をかえって増幅するように思えてなりません。

 

 本題からは外れてしまいますが,「結局,金目(カネメ)でしょう」と言い放った大臣がいましたが,たとえ「金目」であったとしても,お金ではどうにもならない部分(そちらの方が大きいことが実は多い)を補償することは決してできないということを改めて思い知らされました。

 

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教員だった頃(3)

 教員だったころの話です。先輩教員にたくさん教わったのですが,それを後輩?に引き継がずに退職してしまったので……。もし実践なさったとしても,その結果は自己責任でお願い致します。

 

 新学期が始まって,個人写真やクラス写真を撮る機会があるでしょう。後者の場合には,担任や副担任の先生も入って取りましょう。業者さんに撮ってもらう事もあるのですが,同じポーズを誰かに頼んで,担任の先生のスマホでも撮ってもらいましょう。

 そして,すぐに観ましょう。「観」を遣ったのは「観察する」という意です。頭の位置と顔の向きを見て下さい。前者は,傾いていないか?後者は,他の生徒とは違う方向を向いていないか?を観察して下さい。

 このような生徒は,何かしらの悩みや問題を抱えていることが多いようです。もちろん,そうでない場合もありますが,十代の子どもたちは,大人と違って繕うことが苦手な子が多く,気持ちや感情が言動に現れやすいのです。

 実は,ここからが難しいのです。その子の「悩み」「問題」にどのようにアプローチしていくか?ケースバイケースでとは言っても,放っておくわけにはいきません。手を拱いている間に,大きな事故・事件に発展してしまうことも( ノД`)シクシク…

 

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気の緩みって?

 新型コロナの感染者が増大し,そのたびに非常事態宣言が発令されてきました。そして,法改正により「まん防」の発令も今話題です。

 ここ1年で報道されてきた言葉の中で,「気の緩み」が上位に入ることに異を唱える方はそれほど多くないでしょう。

 そこで,「気の緩み」について考えてみましょう。

 当初は,非常事態宣言解除後に用いられていたようでしたが,徐々にその宣言中,特に延長中に耳にすることが多くなりました。

 ところで,「気の緩み」なる言葉は,どんな言葉なのでしょうか?

 「気が緩んでいる」を「気の緩み」と表現していると考えることができます。それは,どんな場合に,どんな場面で発せられるものでしょうか?対等な人間関係?では,発せられることがない言葉と考えます。もし対等な人間同士の場合なら,かなり親しい関係?でしか発せられないように思います。

  それでは,どのような関係で発せられる言葉なのでしょうか?職場の上司が部下に向かって発する言葉であって,その逆はあり得ません。そうだとすれば,身分上?上位者から下位者に向かって発せられる性質の言葉であることが解ります。

 にも拘らず,新型コロナ対策大臣や知事等が「気の緩み」と市民に呼び掛ける構図をどのように解するべきなのでしょうか?

 ある知事が最近は多くを語らず「お願いします」と繰り返していますが,省略されている言葉が「外出を控えることを」ならいいでしょう。しかしながら,ちょっと想像力を働かせると,省略されている言葉は,「宣言が解除されても気が緩まないように」「宣言が解除されても気が緩むことがないように」『お願いします』ということのようです。

  言葉は,その人の思考の一部です。そうだとすれば,コロナが蔓延して終息に至らないのは,市民の所為だということになります。また,国会議員や知事等と,市民の関係は上位者と下位者のそれだったことを改めて思い知らされました。

 だからと言って,私は選ばれた方々を非難するつもりはありません。選ぶ側の私を含めた市民が,これまで以上に賢くならなければならないことを痛感するだけです。

 

お読み頂き,有り難うございました<(_ _)>

教員だった頃(2)

 教員だったころの話です。先輩教員にたくさん教わったのですが,それを後輩?に引き継がずに退職してしまったので……。もし実践なさったとしても,その結果は自己責任でお願い致します。

担任

 在校生の担任になった場合,クラスの生徒の情報収集が必要になります。正確な情報を得るためには,教員同士間の人間関係を日頃から構築する必要があります。この時期は,春休みの部活動の様子を顧問の先生に聞いて回ることをお勧めします。また,春休みに部活動がない場合には,何らかの形で情報収集しましょう。ただし,それらの情報は即(そく)生徒理解になるとは思わず,生徒と接する場合のきっかけぐらいに考えましょう。他人からの情報が先入観になってはいけません。

 生徒は,ある意味たいへん正直・素直です。春休み中の心理状態がそのまま外見,言動等に現れます。あるいは,不登校という形で。

 新入生の担任に場合には,その前の記録を読みましょう。しかしながら,前述したように,それが先入観にならないように気をつけましょう。あくまでの生徒と接する場合のきっかけを作るためです。

 特に,新入生はお互いを知りませんので,座席やクラス役員や掃除当番などのグループを作る際に参考になるでしょう。

 (1)の写真と大きく異なる場合があります。それは,生徒の心情を揺り動かす出来事があったことの現れです。あるいは,入学式から欠席する生徒もいます。それは,前述したのと同じ理由です。

 新入生にとっても在校生にとっても,学校生活でもっとも大きな比重を占めるのが部活動です(が,私としてはそうあってはいけないと思います)。同じ時間を共有することから友人関係に決定的な影響を及ぼします。同じ時間を共有できないと友人関係を構築できないことの悲劇でもあります。

 

お読み頂き,有り難うございました<(_ _)>

言葉はどこからやってきて,どこへ行くのか?(4)

「収束」か?「終息」か?

 どこかの首相が誤用しているとの指摘があります。私も同感ですが,その指摘の中で,「収束」は,混乱していた事態や事件がおさまりをみせることを意味するとありました。


 そこで,私はある言葉を思い出しました。それは,東京五輪パラリンピック誘致のプレゼン?で原発事故が起きたフクシマダイイチの状態を,当時「完全にコントロールされている」とおっしゃった方が……が。あれから数年?

 この場合,「コントロール」を「収束」に置き換えることができそうです。
 しかしながら,「コントロール」の実態は……,今コロナによる混乱もインフルエンザ程度になれば,「収束」「コントロール」と言えるのでしょうか?仕事,店を失った方,生活が崩壊した方のほとんどは,以前の生活に戻ることができません。

 フクシマの罹災者も同様です。

 仮に「終息」できたとしても,コロナもフクシマと同様なのです。
 復興という言葉はあっても構いませんが,それが叶うのはごく一部の方だけ……,再生も同様。失った人やモノを取り戻すことができないのが人の世です。

 たとえ「新生」するとしても,連続性や関係性を欠いた人の世にどれほどの意味があるのか,という非難も聞こえてきそうです。

お読み頂き,有り難うございました<(_ _)>